「反抗期」子供時代

中学生の頃、私は反抗期に入っていた。 母のやることなすことすべてが嫌いになった。 母が作ってくれた料理を「まずい」と言って文句を言い、母が一緒に出かけようと誘ってくれても「お母さんと出かけるのは恥ずかしいから嫌だ」と断る。 母の見ていないところでご飯を食べ、ご飯を食べ終わるとさっさと自分の部屋に行って扉をぴしゃりと閉じる。 そんな毎日を過ごしていた。

そんなある日、私は体育の授業のときに足を捻挫した。

先生はすぐに母親に電話を入れ、母は学校まで私を迎えに来てくれた。

当時の私達一家は、お世辞にも裕福だったとは言えない。 父は私が3歳の頃に起業して会社を経営していたのだが、ある事件があって私達一家は節約の日々を送っていたのだ。 その頃の私は、新しい服や靴を思い通りに買ってもらえず、同級生が新しい服や靴を持っていることが羨ましくて仕方がなかった。

「お父さんは社長なのに、どうしてお金持ちじゃないの?」 と私が聞くと、「うちは社長だからこそ、節約しなければいけない。社員とその家族の皆さんの生活を守らなくてはいけないから」 と父が返す。 その少し前にある事件があったことを、両親は私達に教えてくれていなかったので、父のこの説明では納得がいかなかった。

母と一緒に外出するのが恥ずかしかった理由は、私達が貧乏だったことにもある。 母は毎日ほぼ同じようなヘンな服を着ており、おしゃれに着飾ることもなかった。

学校まで私をわざわざ迎えに来てくれた母は、いつものようにヘンな服を着ていた。先生から電話をもらって、大急ぎで走ってきたのだろう。髪もぼさぼさのままだったし、化粧もしていなかった。

せっかく来てくれた母に向かって私はこう言った。「来てくれなくても良かったのに。 先生とか同級生にお母さんのこと見られるのが恥ずかしい」。

母はとても悲しそうな表情をしたが、何も言い返してこなかった。 黙って私の前に座り、私をおぶってくれた。 私は中学生とは言え、体つきは既に母と同じくらいの背丈になっていたので、私をおぶって歩くことはすごく苦痛だっただろうと思う。 でも母は何も言わず、右手に自分のかばん、左手に私の教科書が入った重いかばん、背中には母と同じくらいの体重の私をおぶって黙々と歩いた。

私達の実家から私が通っていた中学校までは、大人の足でも徒歩で30分以上はかかった。

母は車の免許証も持っていないし、もちろん自分の車も持っていない。

「なんで歩くの? タクシーに乗ろうよ」と私がせがんでも、母は何も言わなかった。

今考えてみると、当時の母にタクシーに乗るという贅沢はできなかったのだろう。

それに、今私は当時の母と同じくらいの年齢になったが、あのとき母が私にしてくれたように自分と同じ体重の人をおぶって30分も歩けるだろうか? 絶対に無理だ。 母だからこそできる、最大級の優しさであり、愛情だったのだと思う。

今でも、あのときの母のことを考えると、涙が出る。

あの時私は母に素直にありがとうと言えなかった。本当は大急ぎで迎えに来てくれたこと、家までの長い道のりをおぶってくれたことが嬉しかったのに・・・。

お母さん、いつも最大級の愛情をくれてありがとう。

お母さんの愛情、絶対に忘れないよ。

あの日のことを、私は絶対に忘れない。