「ロングウォーク」  ナバホ情報

アメリカ軍とメキシコの戦争が終わった後の1846年、アメリカ政府は南西部の領地を所有した。しかし、ナバホの人々は自分達の聖地にアメリカ政府が入り込むことを頑なに拒んだ。彼らの神話の中で、kの聖地はHoly Peopleからナバホの人々のために創った土地であり、ナバホの人々はこの土地を守るようにと言われてきたからだ。

1863年、キット・カーソン大佐は、ナバホの聖地の焦土戦術を命じられた。そして彼は、ナバホの人々の生計を壊し、家族の集まりを崩していった。作物を奪われ、生計の糧となっていた羊や馬を奪われ、男、女、子供達を大虐殺されたナバホは、1863年から1864年の冬にアメリカ政府に降伏した。

その降伏によって、8000人ものナバホの人々は、500キロもの道のりを歩かされた。これがロングウォークと呼ばれるものである。向かわされた先は、ニューメキシコ州にある保留地で、フォートサムナーやボスケレドンドと呼ばれているところだった。その土地は風の吹き荒れる土地で、Pecos Riverから引かれた水には大量の塩が含まれていたため、作物はほとんど育たなかった。飢えに加え、ペストや旱魃、あられなどの災害によって、何千人ものナバホの人々が病気、飢餓、日照りにより、亡くなった。

1868年、アメリカ合衆国とナバホ指導者の間で、ボスケ・レドンド条約がサムナー砦で調印された。これにより、ナバホの人々は故郷の聖地へと戻ることとなった。