2006年5月18日。実質上、この日がツアーの初日だ。
朝食を食べた辺りまでは、調子良かった。ボスの兄貴分であるラコタ男性とも仲良くなれたし、彼からいくつかラコタ語を教えてもらい、それをツアーメンバーに伝えたりしていた。(註:このラコタ男性はボスの兄貴分なので、私にとっても兄貴になる。以降、本記事内では彼のことを「ラコタ兄」と表記する。ちなみに女性から年上の兄を呼ぶときは、ラコタ語で ティーブロ tiblo と言う)
そこまでは良かった。
その後、ミュージアムに行った。
最初に20分ほどの映画を見せてくれた。ラコタの歴史、主にこの土地の簡略な歴史についての映画だった。映画が終わった後、ボスから内容をざっと説明して欲しいと頼まれた。でも全くうまく出来なかった。こういう場合、頭の中で内容を整理してから、要点だけを分かりやすくかいつまんで話してあげる方が良い。なのに私は聞こえた単語をメモに取る事に必死すぎて、全体の内容を理解する所までは至ってなかった。
私の下手すぎる、つたなすぎる説明の後、ボスがさりげなく要点をみんなに伝えてくれた。
ほっとする反面、一気に落ち込んだ。
その後もミュージアムの中を見学する際、ボスがラコタの神話やら歴史を織り交ぜながら、一つ一つの展示品について説明してくれた。
今回はボスがいてくれたから良かったけれど、ここでの私はただひたすらボスの話を聞くだけ、要するにツアーのお客さんと全く同じ立場になってしまっていた。
私は何も役に立ててない!
ボスに対して、みんなに対して、申し訳ない気持ちで一杯になった。
ボスはそんな私の気持ちを察してくれていて、大事なところで私を使ってくれた。あくまでもさりげなく。この人はすごいと思った。ボス1人いれば、ガイドも通訳もこなせる。けれども、敢えてこの人は、私を使ってくれているし、私のことを立ててくれている。
間違いなく、ラコタ兄も私の気持ちを察してくれていた。いろいろと説明をしてくれるのだが、肝心な部分を省略してあったりするので、ボスの説明の方が断然分かりやすい。理由は明白だ。ラコタ兄にとって常識である部分を省略してあるからだ。でも日本人である私達にとっては、その省略された部分から説明してもらわないと、全体的に理解する事は出来ない。つまり、省略された部分があったなら、それを補えるだけの知識を予め持っていないとダメなのだ。
落ち込んでばかりもいられない。今回はボスの説明をしっかりメモする事に徹しよう。次回7月には、今回よりもう少し役に立てるように予習しとかなくちゃ!
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ちなみにその時に見た映画の内容はざっとこんな感じ。
ブラックヒルズは聖なる土地だ。私達が生まれるずっと前から、じっとこの場所で歴史を刻んでいる。いろんなことを見聞きしていて、それらはラコタの神話や歌の中に盛り込まれている。でも、すべてを知っているのはブラックヒルズだけ。ラコタの人々はブラックヒルズを パハ・サパ Paha Sapa と呼び、大切にしていた。精霊の存在を感じられる場所であり、バッファローやビッグホーンシープなどが生息する聖なる場所だった。
1800年代半ばになると、全米でゴールドラッシュの波が押し寄せた。当時、金は見付けた人のものになるという慣習がまかり通っていたので、全米から開拓者がこぞって金を探しまくった。1874年、サウスダコタ州ブラックヒルズに莫大な金鉱が埋まっていると報じられた。
そのニュースが報じられる数年前の 1868年、合衆国とラコタは戦いの末、フォートララミー条約を締結した。”ブラックヒルズを含むサウスダコタ西部の土地には、ラコタの専住権を認める”、という内容だった。しかし莫大な金鉱が埋まっているとなると、合衆国はどうしてもこの土地が欲しくなった。
条約締結からわずか6年後、合衆国は探検と砦の建設を口実にして陸軍を保護区に派遣し、金銀鉱の調査を行った。調査隊はいくつもの鉱脈を発見した。一説によると、この調査の本当の目的は、ブラックヒルズに軍の基地を設置しておきたかったからだそうだ。そうすれば、今後、ラコタとの戦いが生じたときに、有利になるだろうと、アメリカ軍が考えたからだ。
政府はラコタに使節を送り、ブラックヒルズを買い取りたいと申し出た。ラコタからしてみれば、いくら大金を詰まれたところで、聖地を売り渡すつもりなどさらさらない。当然ながら、交渉は決裂した。
ラコタは狩猟民族だ。毎年冬になると数百キロ離れた狩猟地域へ狩りに出る習慣があった。その間はリザベーションを離れることになるのだが、この権利も条約でしっかりと保障されていた。
それなのに1875年の冬、合衆国はラコタ男性たちが狩りに出たのを見計らって、留守を守っていたラコタの女性たちや子供たちに一方的に通告した。
「すべてのインディアンはただちにリザベーションに戻れ。1876年1月31日までに全員が戻らなければ、戦争行為とみなす」
獲物を追って常に移動している者達に、即刻連絡を取るなど当時は不可能だった。それに連絡が取れたとしても、期日までに戻るには距離が遠すぎる。
1876年2月1日。政府はラコタが戦争を仕掛けてきたといちゃもんを付け、軍隊を送り込んだ。ラコタ側はシャイアン族やアラパホ族と連合して、対抗する姿勢を見せた。リトルビッグホーンの戦い(1876年6月25日)で、カスター率いる第七騎兵隊との戦いでは勝利を治め、勢いに乗っていた。この時に連合軍を率いていたのが、シッティング・ブル、ゴール、クレイジー・ホース、ツー・ムーンズらだ。しかし、政府側はその後も容赦ない攻撃を続け、連合軍は追い散らされ、殺された。
1876年。連邦議会はラコタに使節を送り込んだ。合衆国が今後の生活援助を保証する。その代わり、ブラックヒルズやその他の土地を放棄し、北部での狩猟権も放棄するという内容の条約に無理やり調印させた。
20世紀に入ってから、ラコタは「聖地を返還せよ」という運動を起こした。それは今も続いている。
