祖父が亡くなってから、40年以上経った。それでも私は、いまも祖父のことをよく思い出す。新太郎おじいちゃんは私が一緒に時を過ごせた唯一のおじいちゃんだった。両親の祖父母4人のうち、記憶が残ってるのはこの祖父だけ。他の3人の祖父母は、私が生まれる前に他界していたか、私が幼かった頃に他界したので、記憶が残っていない。
だからこそ、新太郎おじいちゃんのことは鮮明に覚えている。新太郎おじいちゃんが亡くなったのは私が11歳のとき。一緒に過ごせたのは、私が小学生だったときだけ。それでも、祖父から学んだことは大きかったし、祖父の存在はすっごく大きかった。
祖父は頭が良くて、知識が豊富だった。特に秀でていたのは、数秘術。数字の持つエネルギのことを教えてくれた。数字のエネルギーは宇宙そのものだ。でっかくて、神秘的で、掴みどころがない。難しいけど、魅力的。
祖父は大工をしていたが、年をとってからは地域の人たちに数秘術を教えるようになった。趣味で。だからお金はいただかなかった。人々が喜んでくれることが嬉しいと、よく話していた。数秘術から始まって、手相、名前の画数、四柱推命、占星術など、いろんなことを勉強して習得しては、その知識を人々に分け与えていた。
私が生まれてすぐ、祖父はありとあらゆる占い方法を駆使して、私へのメッセージを伝えてくれた。祖父が伝えてくれた私の人生設計は、ざっとこんな感じ。
私は世界のあちこちを旅するようになる。この人生では二つの土台を持つ。人生前半は日本。後半は外国。多分、アメリカだろう、と祖父は言ってた。中間地点は大体40歳前後。人生の後半で、私は偉大な先生として活躍する。学校の先生ではなくて、霊性や生き方についてのことを教える先生。大勢の人たちが私の話を聞きに来るだろう。
私の名前を付けてくれたのも祖父だ。祖父曰く、名前を選んだのは私本人だったのだそうだ。私が生まれる前、魂の私が祖父を訪ねて、この名前にしてほしいとお願いしたのだと、祖父は教えてくれた。
祖父が亡くなる前、まだ魂が肉体に入っていた頃、祖父の魂は私の夢の中に会いに来てくれた。そして、もうすぐ人生を終えることを伝えてくれた。その夢から2週間くらいして、祖父は旅立った。
お葬式の日、私には祖父の姿がはっきり見えていた。祖父は、葬儀に参列している家族や親族のことを観察しながら、みんなが泣いて悲しんでるのが辛いと言った。この人生でかけがえのない経験を積むことができたし、全体的にこの人生には満足できたとも話してくれた。旅立ちを笑って見送って欲しい、とも言ってた。祖父は私に笑ってほしいと頼んだ。だから大声で笑って、祖父は無事だとみんなに伝えた。けれども、祖父の姿が視えていたのは私だけで、私は嘘つき呼ばわりされた。特に、母からはものすごく怒られた。
今でも、祖父がいてくれたらなぁと、ふと思うことがある。肉体では会えないけど、祖父のエネルギーを感じることはできる。いつもじゃない。祖父も向こうの世界で忙しいから。私も忙しいので、祖父のことを四六時中考えてるわけじゃない。祖父も私も、お互いに忙しいことを知っているし、束縛し合ったり干渉しあったりする間柄じゃない。時々、思いを送り合う関係。それが私には心地良い関係だ。
短い年数だけだったけど、祖父と一緒に時を過ごせて良かった。私の人生が終わったときに、祖父はきっと迎えに来てくれるはず。その時に、いっぱい楽しい思い出を語り合おうと思っている。祖父がいなくなった後の、私の波乱万丈な冒険話も、いっぱい伝えよう。祖父はきっと、ハラハラどきどきしながらも、笑顔で聞いてくれるだろう。
