I woke up feeling good. I don’t remember if my mom visited me in my dream or not. She probably did. All I remember about my dream of this morning was I was camping and having a good time with my many friends. I cried a lot last night. My eyes are still swollen. IContinue reading “Blessing bell 3/2/2020”
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My mom’s departure 3/1/2020
夕方、いつものように友人と長距離散歩に出かけた。友人との長距離散歩の時は、いつも身軽で行くようにしている。家のカギと携帯電話を自宅に残して出かけていた。 汗だくで自宅に戻って、携帯電話を見ると、父から電話が入っていた。父から電話が入ったのは、今までになかった。母が亡くなったんだとすぐに分かった。 父は目が不自由なのに、母の携帯から私の電話番号を探して電話してきてくれたことに感謝します。 母は昨日、日本時間で2020年3月1日、日曜の夜に、亡くなったらしい。 父と電話で話したあと、父は電話を兄に渡し、私と兄は何年ぶりかにきちんと話をした。兄ときちんと話したいと長年願っていた。亡くなった母が、こうして兄と私の縁をまた紡いでくれたことに感謝している。 二人の話をまとめるとこんな感じだった。 昨夜、母は父と一緒に夕食を食べて、ベッドに入り、二人で話をしていたらしい。母が返事をしなくなったので、母の様子を見てみると、母は既に息を引き取っていた。 兄は両親の家から徒歩で5分ほどの距離に住んでいるので、父はすぐに兄を呼んだ。兄が来た時に、母は既に息を引き取られていたことが確認できた。その後、看護師さんと医師が死亡確認にきた。医師によると、母は窒息による死亡だったらしい。食べたものが喉をうまく通過できず、喉のところで詰まって息ができなくなった。けれども苦しい思いはなく、スムーズに向こうの世界に行けただろうと、医師は告げてくれたらしい。 *** 亡くなった時間は午後10時頃。アリゾナ時間の午前6時頃。私はそのときぐっすりと眠っていたので、私は母の魂と夢の中で会えていたと思う。だからなのかもしれない。普段なら朝6時には目覚めるのだが、私は今朝、朝8時までぐっすりと眠っていて、目覚めた後も何となくベッドの中で夢の中での余韻を楽しんでいた。私がようやくベッドから出たのは午前9時を過ぎていた。目覚めた時に何となく清々しい気分だったのを覚えている。日曜でなければ、朝9時までゆっくりとベッドで過ごすことができていなかったので、これも母の配慮だったんだと感じる。 *** 死に目に会えなかったことは、本当に悔いがない。先月の私の滞在中、母と死についてしっかり話すことができたからだ。母は死をしっかりと直視していたし、覚悟ができていた。 私は母に、「自分の家で普通に食事をして家族にありがとうと伝えて、自分のベッドで眠るときにおじいちゃんと垂水のおばちゃんと大悟が迎えに行くから、そのまま手を取ってもらって連れていってもらうのが一番良いよ」と、伝えた。母もそのアイデアに同意して、そうすると言ってくれた。だから本当にその通りに、苦しまずスムーズな流れで向こうの世界に行けた。 私の祖父(母のお父さん)のお葬式の時のことも、母に伝えた。祖父の魂が私に、「自分は良い人生だったと満足してるし、今は痛みも苦しみも悔いもなく安全な場所にいるから、おじいちゃんの死を泣かないでほしい。喜んで笑ったほしい」って伝えてくれたことを、母に伝えた。母はこれにも同意してくれて、自分が亡くなった時には喜んで笑ってほしいと、私に頼んでくれた。 だから、お母さん、約束を守るよ。おじいちゃんの時と同じように、お母さんが無事に向こうの世界に旅立てたことを私は喜ぶよ。お母さん、長い人生、大変な人生をお疲れさまでした。やっと抜けれて、楽になったでしょ。この数日間は、自分のお葬式を見届けたり、お世話になった人への挨拶やらで忙しいだろうけど、それが終わったら、しばらくはこの人生での疲れを癒してゆっくり休んでください。 *** 父と兄と電話で話したあと、家政婦さんがラインで電話してきてくれた。私に真っ先に伝えようとしてくださったことに感謝します。家政婦さんは、母の最期の様子を話してくれた。着替えは手伝いが必要だったが、それ以外は寝たきりの生活ではなかったらしい。最期まで、自分でしっかりと歩いてトイレに行ったり、朝はベッドから出てリビングルームに出て来たりもしていたらしい。 家政婦さんとの電話の後、私は従兄弟に電話をした。従兄弟は母のことを知らなかったみたいでショックを受けていた。従兄弟は広島に出張に行く途中だと話していたが、何とか都合をつけてお葬式に出てくれるだろうと思う。心優しい人なので、今頃、母のために大粒の涙をたっぷり流してくれていると思う。ありがとう。 お葬式は明後日とのことで、父は私に明日にでも帰ってきてお葬式に出て欲しいと言っていた。父と兄には、お葬式には帰れないことを伝えた。コロナウィルスの警戒態勢なので、すぐには帰国できない。父は不安と寂しさから、私にできるだけ早く帰ってきてほしいと頼んだ。帰りたい気持ちはあるけれど、申し訳ない気持ちもたくさんあるけれど、現状ではどうしても、すぐに帰国しようとは思えない。 *** 一連の電話が終わった後、娘と一緒にお風呂に入った。娘は特殊な能力を持って生まれてきている。エンジェルとスピリットたちが視えて、聞こえるのだ。 たくさんのエンジェルたちとスピリットたちが私たちのお風呂場に入ってきたらしい。大悟も新太郎おじいちゃんもとしこおばちゃんも、ふでおばあちゃんもいた。その先頭に、母の姿があった。母は子供のように若返り、元気いっぱいの姿だったらしい。満面の笑顔で、この人生をやっと卒業できたことを嬉しく思っていると伝えてくれた。そして、私が今すぐに日本に行くことに関しては、母を始めとする全員が、「今は行くべきではない」と言っていたそうだ。母は「お父さんのことも、日本の家のことも心配しないで。大丈夫だから。現状が落ち着いてから、日本に行けば良い。今は行くときではない」と伝えてくれた。そう伝え終わると、母と他のエンジェルたちとスピリットたちは、「じゃ、忙しいからもう行くね」と言って、次の瞬間には全員いなくなっていたらしい。きっと、日本の家に行ったんだね。お母さん本人のお葬式の話をしているから、聞き逃すわけにはいかないしね。 忙しい中、メッセージを伝えに来てくれたことに感謝します。お母さん、大悟、としこおばちゃん、新太郎おじいちゃん、ふでおばあちゃん、エンジェルたち、スピリットたち、ありがとうね。 *** これを書いている今、母との楽しかった思い出が走馬灯のようによみがえってくる。きっと母が私に思い出させてくれているんだと思う。 2017年10月の里帰りの時、母はまだ一緒に遊びに行けるほど元気だった。水族園で一緒にイルカショーを見ていたとき、私は急に泣き出してしまった。母とはいつも仲が悪かったし、7年間も音信不通を経験していたから、まさかこんな風に、母と私と娘の女3人で仲良く一緒にイルカショーを見る日が来るなんて想像してなかった。だから単純に嬉しかった。プラネタリウムにも一緒に行った。リクライニングの心地よい椅子で、私と母はショーの間眠ってしまった。娘は1人で起きていて、私と母のいびきを聞いていたらしい。 2019年3月の里帰りの時、母は大分体調が悪かった。母と父と長く一緒に時間を過ごすといつも喧嘩になったり傷つけらるのが怖くて、両親と一緒に過ごしたのはたった2日間だけだった。 2020年1月の里帰りは、私一人で実家に一週間泊まった。この時は母とたくさん過ごす時間が持てた。死についてもしっかり話せたのが良かった。母の裸を見たときはショックだった。痩せていて、おばあちゃんの体になっていたし、手術の後が体中にあった。お父さんのことを心から愛していて心配しているから、何度も死の入口まで行って帰ってきたことを知った。お母さんとしては、お父さんのことを見送ってから逝きたかったんだろう。一緒に垂水の銀行に行ったとき、パン屋さんで好きなパンを選んでいるお母さんの無邪気な笑顔を、まだ鮮明に覚えている。私が作った玄米のおかゆやお味噌汁を、美味しいと言って食べてくれたことを覚えている。私が背中をさすってあげたこと、足をマッサージしてあげたときに、喜んでくれたことを覚えている。そういう楽しかった記憶だけで、母のことをこれからも記憶していきたい。 母は愛し方が分からず、不器用に、母なりのゆがんだ方法で、私のことを心から愛してくれた。そのことに心から感謝しています。 お母さん、本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでください。新太郎おじいちゃんと、ふでおばあちゃん、としこおばちゃんと、かよのおばちゃんと、積もる話もあるよね。大悟とも、いっぱい話をしてください。お母さんが生きている間に、全力でお母さんのことを守っていてくれたスピリットさんたちやエンジェルさんたちとも、積もる話をいっぱい楽しんでください。そして何より、こっちの世界のことは心配しないで。落ち着いたら、お父さんのことを迎えに着てあげてください。 お母さん、本当にいっぱい、ありがとう。一緒に過ごせて楽しかったね。ありがとう。またね。落ち着いたら私の夢の中に遊びに来てね。またいっぱい話そうね。 *** 夜8時半には就寝し、眠りについた。泣き疲れていたので、すぐに眠れた。 ふと、目を覚ましたのが22時22分だった。エンジェルがこのメッセージを伝えてくれるために、私を起こしたように感じた。「2222」、「エンジェルメッセージ」のキーワードで検索すると、心に響いたのは、以下の3つのメッセージだった。 「すべては必然」 「自立の時」 「自分を愛し、自分の能力を強く信じる」 とても腑に落ちるメッセージだ。物理的に遠い地であっても、私は母に精神的に頼っていたところが大きい。これからが本当の意味で、私自身が自立し、私が生まれてきた本来の意味と使命を強く信じて、それに向かって邁進するべきだと、強く感じた。残された私の時間は30年ほど。これからの毎日を丁寧に生きていこうと思う。母の死が私に教えてくれたのは、とても大きな強いメッセージだった。これが母から私への最期の贈り物なんだね。お母さん、本当にありがとうね。
