「下水タンク」  ナバホ体験記

一ヶ月程、ナバホグランマ・ナバホグランパのトレーラーハウスに住んでいたことがある。 グランマ宅に引っ越してから1週間目に、ある事件が起きた。 その日グランマはトイレに行ったきり、なかなかキッチンに戻ってこなかった。心配になって見に行くと、グランマがトイレの中であたふたしている。トイレの水が流れずに溢れ出てきた、というのである。 その日初めて知ったのだが、この辺りには公共の下水管はまだ引かれていないので、各家には下水を貯蓄するタンクが設置されている。タンク内の汚水が一杯になったら専門業者を呼んでタンク内の汚水を吸い取ってもらう必要があるらしい。 この作業は一般家庭なら半年毎に行うのだが、グランマ達はあまり水を使わない(シャワーを浴びるのも3日に1回程度)ので、前回業者を呼んだのは何と3年も前のこと。 業者を呼ぶ前にやっておかなければいけない問題があった。2人は下水タンクの場所を覚えていないというのだ。3人で外に出て探してみるが、やはり見付からない。何しろ3年も前の話である。頻繁に起こる砂嵐のせいで、タンクの蓋の上に土が被さってしまっている。穴を掘って探すしかない。 グランパは「確かこの辺りだった。」と大体の場所を指差す。あちらこちらに穴を掘り続けて6時間後、ようやく地面から1.5 Mほど掘ったところでタンクの蓋が見付かった。タンクの隣に目印の棒が立ててあったのだが、土がすっかりと覆い隠していたのである。 それにしても、あの日は本当によく働いた。あまりの筋肉痛で、歯ブラシすら持てないほど手の筋肉が麻痺していたのだから…。 その日以来、私は節水の鬼になったのは言うまでも無い。

「家に居なさい」  ナバホ体験記

スバルちゃんが深い眠りに入ってしまってからは、毎朝、毎晩、「車を直して下さい」 としつこいほどお祈りを続けた。 いろんな人が修理を試みてくれてもどうしても直らないということが4週間も経つと、さすがの私もとうとう腹をくくり、しばらくは車無しで過ごす決意をした。 その日の夜、夢を見た。 夢の中に、私の守護霊様が現れた。 「あなたの車は私達が意味あって、わざと止めたのです。 あなたは今、正しい場所に正しい人達と過ごしています。 もしあなたの車が今も動いていたら、きっとあなたはあちこちの友人を訪ね回って、ほとんど毎日家を留守にしていたでしょう?」 と言うのである。 確かに、車が故障したお陰で、私はナバホ家族と共に過ごす時間が多くなった。 もし車が快調に動いていたら、間違いなくほぼ毎日出歩いていたに違いない。 守護霊様はこう続けた。 「そろそろ、あなたの車を直してあげましょう。 あなたは故障原因が電気系統だと思っているようですが、ガソリン系統を調べてみなさい」 ***************** この夢を見た翌朝、私はミュージアムに出掛けた。 そこで友人マニュエルとバッタリ遭遇した。 マニュエルがスバルちゃんの容態を聞いてくれたので、私は彼に夢の話をした。 「まさかとは思うけど、念のためガソリン系統を調べてもらえない?」 その日の午後、マニュエルが家に来てくれた。 彼が車の下に潜ってチェックすると、ガソリンポンプが破損していることが分かった。 その日の内に新品のガソリンポンプを購入して交換すると、スバルちゃんのエンジンがついに掛かったのである。 それ以来、スバルちゃんは快調に走り続けている。 それにしても、こんなことってあるんだなぁ。確かに車が止まってからの4週間、私はナバホ家族と共に有意義な時間を過ごしていたのだった。 *****t******** 後日談になるが、あのとき守護霊様が車を壊してくれたのは、私と夫の仲を取り持つためだったんだと思う。 この頃から私とナバホ弟(現在の夫)は、付き合うようになったのだから・・・。

「ボッタクリ被害」  ナバホ体験記

スバルちゃんが停止してから、連日のようにいろんな知人が家にやってきては、車を修理しようと試みてくれた。ナバホ父、ナバホ弟A、友人T,友人M、ナバホ叔母のボーイフレンドE、ナバホ従兄弟Cなどなど。 しかし、誰もスバルちゃんの故障原因を突き止めることは出来なかった。 エンジン音はしているが、スタートしないという状態だったので、「電気系統に間違いない」ということで皆の意見は一致していた。 この時点で既に電気ケーブル一式とコイルなどの部品交換は全て完了。 それでも直らないので、車屋さんに見てもらうことにした。 ツェ・ボニートという町に一件、車修理ショップがある。ここが一番近いショップだった。この店に、スバルちゃんを牽引した。 店側は「診断料金は66ドル。故障原因が分かったら、その部品代金と工賃は別途。工賃は一時間70ドル」だと言われた。 「高いな!」とは思ったが、他に手立てがないので仕方が無い。 診断を頼むことにした。 診断結果はディストリビューター・アセンブリーの一部品が故障しているので修理が必要との事。 部品代金だけで260ドル。トータルで330ドルを支払い、部品を購入。 「部品交換は難しいですか?」 と聞くとメカニックの兄ちゃんは 「手間は掛かるけど難しいものじゃない。本を見ながらやれば出来るさ」という返事。 ショップに交換を依頼すると工賃を取られるので、ナバホ弟Aが交換してくれることになった。 その後もしつこくメカニックの兄ちゃんに 「診断結果には自信があるんだろうね?絶対この部品を交換したら直るんだろうね?」 と確認すると、「絶対この部品だと確信しています」 との返事。 家に戻って部品交換したが、やはりエンジンは掛からない。 店に戻って「お宅の診断結果は間違っていた。だから全額返金しろ」 とごねてみたが、一セントも戻ってこなかった。 しかしこちらとしては納得がいかない。 診断結果は間違っていたのだし、それにこんな小さなプラスチックの部品が260ドルもする訳が無いじゃないか? こちらが日本人女性だからバカにして吹っかけられたのだろうか? ギャラップの車部品ショップで部品の値段を調べると、ディストリビューターのアセンブリーセット本体が169ドルだという。 やはりボラれていた!! *********** その後、ナバホ父が、お店の大ボスに交渉しに行ってくれた。 大物二人の交渉によって結局220ドルは戻って来たが、それでもこちらの怒りは消えない。 日本人のオンナだからと言って値段を吹っかける。 しかもちゃんと看板を上げた店が…。 私が交渉してもダメなのに、ナバホ父が交渉すると、先方はあっさりお金を返してきた。 クッソー!!私はまだまだ風貌でなめられているんだ! 瞬時にいかついおっさんの顔に顔を変身させる術があれば良いのに・・・。 それにしても私はまだまだ短気だ。  

「車購入 第二弾」  ナバホ体験記

また長期滞在が出来ることになったので、再度車を購入することにした。今回の予算は1000ドル以下。絶対条件は4駆車であること。それ以外は妥協するつもりだった。 前回と同じようにアルバカーキへ出向き、売りに出ている車を探したが、大抵は2000ドル前後。なかなかピンとくる車が見付からない。探し始めて一週間後、800ドルで売り出されていた83年もののスバル(4WD)に出会った。今回も見た瞬間に「コレダ!!」と感じたので即決購入。値段は750ドルにまけてもらった。 見た目はオンボロでいかにもレズカー(保留地仕様の車 Reservation Car)という風貌だったが、よく走ってくれたので非常に満足していた。 ところがこのスバルちゃんは、購入日からわずか2週間でダウンした。デコボコ道を走行している途中でいきなりエンジンが停止してしまったのだ。でもそこは保留地内である。車が止まって数分しか経っていないのに、車に詳しい友人が「たまたま」そばを通りかかってくれたので、友人がすぐに修理してくれて、スバルちゃんはまた走り出した。その時掛かった費用は7ドルのみ。友人はディストリビューター・キャップの接続部が磨耗していると言ったので、この部品を交換するだけで良かった。 それから4日目、家を出て5分ほどすると、またエンジン停止。今回は普通に走行中に故障してしまったのだ。車を脇に寄せて、ナバホ父のオフィスまで歩くことにした。 道路脇を歩き始めると、何台もの車が止まってくれる。別に親指を出してヒッチハイクをしようとしている訳でも無いのに、「乗せてやろうか?」と申し出てくれる車が多い。最初の3台は丁重にお断りしたのだが、4台目の車が止まった時は私も歩き疲れていたので乗せてもらうことにした。 ドライバーは40代半ばの男性。彼は何やら飲み物を飲みながらの運転。よく見ると、何とそれはビールではないか?「あのぅ、それってビールに似てますよね?」と聞くと「似てるというかビールだよ。」との返事。!!マズイ!!そこでまた、丁重にお礼を言って、車を降ろしてもらった。もう、知らない人の車に乗せてもらうのはやめることにした。 やっとの思いでナバホ父のオフィスに辿り着いたが、あいにくナバホ父は外出中。仕方が無いのでまた車の所までトボトボ歩いて戻った。 私の車が見える距離まで歩くと、そこには人だかりが出来ていた。ナバホ母、ナバホ弟A,ナバホ弟Bと友人TとM。私の車の後ろには3台の車が停まっている。私の車が道路脇に停まっているのを見付け、ビックリして集まってくれたらしい。 「電気系統のどこかが故障してるんだろう。」という結論に至ったのだが、修理できる人が誰も居なかったので、その日はナバホ弟Aのトラックで牽引してもらい、家に戻った。 その日は特に心配していなかった。またすぐに直るだろうと確信していたからだ。

「消防士の訓練」  ナバホ体験記

消防士のトレーナーをしている友人が、消防士のフィールド・トレーニングに招待してくれた。 ナバホ保留地の首都ウィンドウロックから4時間のハイクに行くというのである。 20人ほどの訓練生が4つのチームに分かれていた。 私はその内の一つに入れてもらい、最後尾に加わった。 チームは常に仲間の調子を見ながら進まなければいけない。 消防士の仕事はチームワークが成功を決める第一条件だかららしい。 私達は縦一列になって歩く。 自分の前を進む仲間が言った言葉は全て大声で繰り返すのがルールになっていた。 「足元注意!」「頭上注意!」「急な斜面だ、気を付けろ!」などなど。 私の前にいた青年はやたらと叫んでいた。「車だ!」「カラスだ!」「蛇だ!と思ったら棒だった!」など、つまらないことまで。しんどいので無視していると、「オイ、俺が言ったことをちゃんと後方に伝えてくれよ!」とニヤニヤと笑いながら後ろを振り返る。 汗だくでゼイゼイ言いながら必死で歩いている私をからかっていたのだ。 彼はまだまだ余裕の表情だった。 たかがハイクだと思っていたが、実際はキツイのなんのって…。 しっかり前後左右、上下を見て歩かなければ足をくじいたりこけたりする可能性もある。 普段使っていない神経や筋肉をフル活用して歩いた。 ************* 突然、私の太ももにチクリと痛みを感じた。 虫にかまれたのだ。 クモなのかアリなのか定かではなかった。 ここには毒グモが存在するのを知っているので、不安になった。 私の異変に気付いた友人が、かまれたところを見せろと言った。 傷を見せると友人は、「アリだな」と言って、その周辺をしばらく歩き回って何かを探した。 探し物が見つかると、友人はその場所にしゃがみ込んで、ポケットから何やら取り出した。 タデディンバッグだった。 これはナバホなら誰でも持っているもので、お祈りに使うトウモロコシの花粉が入った袋だ。  友人は、私のために虫さされを癒す薬草を探してくれていたのだった。 彼はその薬草にナバホ語でお祈りをして、それからトウモロコシの花粉をオファーした。 それから、私にも同じ事をやるように言った。 「今からあなたを薬草として使わせていただきます。 どうか私の傷を癒して下さい」 と祈りを捧げ、トウモロコシの花粉をオファーしてから薬草を使う分だけ取らせてもらう。 友人はこの薬草の使い方を説明してくれた。 1) この薬草を数時間水に浸す。 2) 薬草が柔らかくなったら、指で軽くこすって薬草の汁を患部に塗りこむ。 大切なのは、そのときに薬草に対して感謝の気持ちを伝えること。 3) 翌朝は早く起きて、東の方角に向かって歩く。 同じような薬草が生えている場所を見付けて、まずお祈りをする。 4) 薬草をとして使わせてもらった事のお礼を述べる。 それから大地に使用済みの薬草を戻し、その上にトウモロコシの花粉をオファーする。 5) この作業は誰にも見られてはいけない。 *************** 余談だが、ナバホなら誰でも薬草ハーブを知っているという訳ではない。 この友人の母親は、メディシンウーマンでハーバリスト(ハーブ研究者)だったので、彼は子供の頃から薬草に関する知識を学んだのだそうだ。

「虹」  ナバホ体験記

ご存知の方も多いと思うが、ナバホではアニミズムを信仰している。この世の中にあるすべてのものに精霊が宿ると信じているのだ。自然現象はすべて意味があって起こることだとされている。中でも虹は「ホーリー・ピープル」からの祝福とされ、敬意を払っている。 これはナバホ神話に由来する。ナバホ神話に登場する英雄「双子の兄弟」が、父である「太陽」に会いに行く際に「虹」の橋が表れて、双子を無事に父の元に送り届けてくれるのである。 *********** ナバホの大地で虹を見かけたら、あなたのそばにいる大事な人とその祝福を分かち合って下さい。 但し、虹の方角を示すのは、親指を使わなければいけません。 人差し指で差すのはタブーとされています。 ナバホでは人差し指は「邪悪なもの」を差す場合にしか使わないので、人を指し示す場合も人差し指を使ってはいけないのです。

「Water Rights」  ナバホ体験記

現在、ナバホ父が携わっている運動は、「Water Rights(ウォーター・ライツ)。 ナバホの大地の水を守っていこう、ナバホが水を所有できる権利を守っていこう、というものである。 その一環として、コロラド川の川下りに参加することになった。 コロラド川はナバホ保留地北部を流れる全長約2,333kmの大河だ。 この川の支流には、3つのダムが建設された。アリゾナ州とユタ州との境界付近のページにグレンキャニオンダム、ラスベガス付近にフーバーダム、その南にはデービスダムである。 このダムによってコロラド川の水はラスベガスとカリフォルニア州へと供給されている。 大量の水の利用により下流のメキシコ領内では、川はほとんど干上がっている。この川はナバホ保留地を通っているのに、ナバホ保留地には一滴も供給されていない。 保留地内では少ない雨量(度重なる旱魃の被害)に長年悩まされている。 「Water Rights(ウォーター・ライツ)運動の主張は、このコロラド川の水をナバホ保留地にも流して欲しいということ。 そしてこの貴重な水がいかに無駄に使用されているかをもう一度見直して欲しい、というものである。 確かに大都市では水のリサイクル運動が盛んに行われているし、リサイクル装置も開発されている。しかしそれでは問題の根本的な解決にはならないのだ、と父達は主張している。 まずはこういった事実を広く世間の人達に知ってもらうことが大切なのだと。 川下りをしてみて分かったのは、コロラド川の水位が本当に下がってしまっているということだった。 大河だった頃の名残りはある。 下の写真はその日、撮影したもの。岩肌をじっくり見ていただくと、かつての水位がお分かりいただけると思う。 ********* 今回の川下りのメンバーは、ちょっと不思議な構図が成り立っていた。 今回この川下りに招待してくれたのは環境問題に取り組んでいる白人の団体の代表者。川下りの主催者は、コロラド川でクルージングビジネスを行っている白人の企業。企業側はウォーター・ライツの代表であるナバホ父にインタビュー収録を行うことになっていた。 ナバホ父がインタビューを受けるときになると、私と環境団体の代表者は席を外すようにと言われた。 別に秘密にする必要はないのに…。 ナバホ父のことが心配になった。 父は笑って「心配するな」と言った。 企業側のメンバーのほとんどが親切で良い人達だった。 一人を除いては…。 企業側メンバーの中に一人、いかにもノーテンキなアホ野郎がいた。第一印象でイヤなヤツだと感じた。その人、デイビッドは年齢的には私と同じくらい。 私達の前ではヘラヘラと嘘っぽい笑いを浮かべてはいたが、時折ナバホをバカにするようなうっかり言動を繰り返していた。 ナバホ父へのインタビュー収録が終わって、デイビッドが環境団体の代表者の元にやってきた。 私は代表者の少し後ろにいた。 別に隠れていた訳ではないが、岩の後ろにいたので彼らからは死角になっていたのだろ思う。 デイビッドはへらへらと笑いながら、こんな暴言を吐いていた。 「いやぁ、あんなにバカなインディアンって、初めてお目にかかったぜ。 時代遅れもいい加減にしとけってんだ。 ホーリーピープルの助けがどうだとか、母なる大地を守れだとか、セレモニーだとか、そんなバカげたことを真顔で言うんだぜ。 今は2005年。 金が物を言う時代なのさ。 俺達の子孫が暮らす世界のことなんて、今の俺達がどーのこーの出来る問題じゃないし、俺達の知ったこっちゃないぜ」 ナバホ父の哲学(ナバホの哲学)を侮辱するような暴言を吐いていた。それを聞いていた私は、トサカに血が上ってしまった。 私は父の元に走って行った。 父は私の怒りをすぐに察知した。 「君が怒っているのはデイビッドの暴言のことだろ?」 ???どうして分かったのだろう? デイビッドと代表者は父から離れた場所にいたから、父に聞こえるはずは無いのに…。 デイビッドはインタビュー収録の最中にも、ずっと暴言を吐いていたらしい。 「君のことだからそれを聞いたら、俺の為に怒るだろうって分かっていた。 俺の為に怒ってくれている事、ありがとな」 父はそう言ってくれた。 なるほど。 そうだったんだ。 私が今、非常に怒っているのは、ナバホ父が私の本当の父に近づいているという証なのだ。 父は笑ってこう言った。 「後は俺にまかせておけ。君の怒りを全部外に出してしまいなさい」 それから父はデイビッドのところに行って、しばらく話をした。 内容は他愛も無い話題から始まり、徐々に確信に近づいていった。Continue reading “「Water Rights」  ナバホ体験記”

「ウインドトーカーズ」  ナバホ体験記

「ナバホ・コード・トーカー」 を描いた映画 『ウインドトーカーズ』 が2001年アメリカで製作された。 監督はジョン・ウーで、主演はニコラス・ケイジである。 映画の舞台は1943年のサイパン島。 ナバホ語を暗号に起用したアメリカ軍は、ナバホ兵をコードトーカー (暗号通信兵) として戦地に送った。 彼らには常に護衛兵が付き添っていたのだが、護衛というのは表向きの任務だった。 通信兵が日本軍に捕まった場合は通信兵を殺してでも暗号を守る、という極秘任務があったのである。 この映画は、米海兵隊員と暗号通信兵の友情と葛藤を描いている。 実はこの映画、ナバホの中では評価が低い。ハリウッド映画であるという性質上、当然ながら主役のニコラス・ケイジにスポットが当たっているし、ナバホの伝統やセレモニーも正しく伝えられていないからというのが理由である。 ナバホの友人がこの映画についていくつか話していたが、私が覚えている理由は以下の通り。 1) ナバホ役で登場するアダム・ビーチは、カナダのソルトー族出身でナバホではない。 彼はこの映画の為に、ナバホ語の発音を訓練したのだそうだが、ナバホの人が聞くと 「ナバホ以外の人の発音」 だとすぐに分かるのだそうだ。 2) 映画エンディングシーンで、ナバホ兵が海軍兵のドッグタグをナバホバスケットの中で洗うシーンがある。 ナバホの人々はこんなことをしない。 ナバホでは亡くなった人の名前を口に出して言うのはタブーとされているし、このような習慣は無い。 3)クラン制度の間違った使い方。 ナバホではクラン制度というのがある。 アダム・ビーチ扮するベンが自己紹介をする際に、「俺はビターウォータークラン。父方のクランは、タワリングハウスクランだ」 という台詞がある。 母親がビターウォータークランで、父親がタワリングハウスクランだと言っているのだが、ナバホのクラン制度ではこの二つのクラン同士は結婚出来ないことになっている。 (注:この部分はナバホの友人からの聞きかじりです。 クラン制度についてはまだまだ勉強中です)

「ナバホ・コード・トーカー」  ナバホ体験記

「ナバホ・コード・トーカー」という言葉を聞いた事があるだろうか? 恥ずかしながら私は、ナバホの人から教えてもらうまで、こんな歴史があったことを知らなかった。 第二次世界大戦の最中、日本軍は常に米軍の暗号通信の解読に成功し、米軍の進行を著しく遅らせていた。 そこで米海軍が目を付けたのが、ネイティヴ・アメリカン、ナバホ族の言葉だった。 1942年、海兵隊は数百名のナバホ兵を召集し、ナバホ語をベースに暗号を作成し、訓練を行った。 日本軍は最後までこのナバホ語の暗号を解読することが出来なかった。 この暗号部隊は 「ナバホ・コード・トーカー」 と呼ばれている。 ナバホ語は長い間文字を持たず、口頭によって受け継がれてきた。 活字化されたのは1920年代だと言われている。白人の語学研究者が便宜上、発音に忠実に活字化をした。 この活字化はナバホ語を勉強する外国人の為に作られたという意味合いが強い。 最近では部族会議の報告書はナバホ語で行われるようになったとは言え、ナバホ語が母国語だが書くことは出来ないという人の割合は極めて高い。 ************** 先日、モニュメントバレーで「ナバホ・コード・トーカー」の記念式典が行われた。 ビデオコーディネーターの友人と新聞記者の友人に、同行させてもらった。 ナバホの人々は「ナバホ・コード・トーカー」の活躍を本当に誇らしく思っている。

「結果がすべて」ナバホ体験記

撮影は無事に終了。 スタッフのほとんどは、私と同年代で気さくな人達だった。 普段は冗談を言って笑いが絶える事が無いのだが、いざ本番撮影になると、瞬時にプロの表情に変わる。 空気もピンと張り詰めたものになるのが驚きだった。 タレントさんの集中力にも驚かされた。 本番になると、テレビ用の表情になり、良いコメントをする。 その気持ちの切り替えの早さがとても印象的だった。 スタッフの方が言った言葉で、今も強烈に残っているものがある。それは、「テレビの世界では結果が全て」という言葉だ。 「撮影中にスタッフがどんなに苦労して汗水流しても、涙を流しても、それは結果として表れない限り認めてはもらえない。緊張の連続なんだ」と。 番組は泣いても笑っても一度きり。 結果というのは視聴者の反応(視聴率)である。 「この仕事を始めた頃は、収録が終わる毎にヘトヘトになって、あれこれ落ち込む時期もあったけど、今はもう違う。 一つ終わったらすぐに気持ちを切り替えて、次の番組作成に集中する。 終わったものをとやかく言っている暇なんか無いからね」 そう話すスタッフさんの表情は、強いエネルギーに満ちていた。 撮影が終了してホテルに戻ると、スタッフは全員溶けるように眠った。 ADさんはあまりに疲れていたからか、部屋のドアを閉めることすら忘れ、ソファーに座った途端に深い眠りに入ってしまった。 撮影本番に全力を尽くしていたので、疲れたのだろう。 こんなことが撮影毎に起こるのだから、本当に大変な職業だと思う。 **************** 後日、スタッフさんから放送用テープのコピーが届いたので、ナバホ家族と共に番組を見させてもらった。 ナバホでの取材は丸二日を要したのに、実際に写っているシーンは僅か20分ほどだった。 短い時間内ではあったが、とても良いメッセージが凝縮されていたので、私達は全員、大いに満足した。 ほんの一瞬ではあったが、私の名前もエンディングテーマに載せて下さっていた。 嬉しくて、何度も何度もビデオを巻き戻しては、自分の名前を確認したものだった。 今回のテレビ取材協力では、本当に貴重な体験をさせていただきました。 私を参加させて下さったすべての皆様と、私を応援してくれたスピリット達とホーリーピープル達に心から感謝します。 この貴重な体験は、生涯ずっと忘れることはありません。