ロサンゼルスまでの旅は、大きな問題もなくスムーズに流れた。 私はいつもナバホの大地を去るときに涙をこぼすのだが、今回はそんな必要は無かった。 今回は数日後に、またこの大地に戻ってくるのだから。 一泊目はセドナに泊まった。以前泊まったホステルに行ってみた。以前親切にしてくれたココ・ナンバーワンに会いたかったのだが、残念なことに彼女はもういなかった。経営不振でオーナーが変わったのだそうだ。 セドナで1泊、それからバーストウで1泊、ロスに到着してから2泊した。旅で出会った人たちは皆、親切にしてくれた。 セドナでは IBM の重役だという男性と共に、ハイキングに出掛けた。 バーストウで入ったタイレストランのお客が、私にディナーをご馳走してくれた。(私が貧乏そうに見えたのかもしれない) ロスではいつも見慣れた光景の中で、ビーチで散歩したりローラーブレードを楽しんだりした。そうして、心が十分にリフレッシュできたのを感じた。 火曜日の夜、アムトラックのロサンゼルス駅からナバホ両親の家に電話をした。電話に出たのは弟だった。 彼は「ちょうど良かった」と言った。何がちょうど良いのかと聞き直してみたが、周囲の騒音がひどくて、弟の言った言葉が聞き取れなかった。 とりあえず、私が今から電車に乗る事だけは伝わっているはずだ。明日朝にはナバホの大地に戻れる。そう思うと、ワクワクしてきた。 私は満面の笑みで電車に乗り込んだ。
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「出直し」ナバホ体験記
翌朝は騒々しい歌声で目覚めた。ナバホ父の歌声だ。眠い目をこすりながら、もたもたとベッドの梯子を降りていくと、弟も同じように寝ぼけながら目をこすっている。 「何時?」と私が弟に聞くと、彼は言葉を発するのももどかしいらしく黙って時計を指差した。まだ朝の5時だ。 台所へ行くと、父がナバホ語で歌を歌いながら料理をしている。 「おはよう、俺のワンパク娘。 早く顔を洗って来い。 フレッシュコーヒーと俺の特性サンドイッチがある」 ナバホ母はまだベッドにいて、私に向かってにんまりと笑った。「うまい朝食を娘に食べさせて、娘を見送るんだって」 顔を洗ってダイニングテーブルに着いた頃には、席にみんなの分の朝食とコーヒーが盛り付けてあった。 父の作ってくれた朝食は美味しかった。具がたんまりと詰まった分厚いサンドイッチに、ハッシュドポテト。 父が料理できるなんて知らなかった。 父はこう言った。「ロサンゼルスまでの道中、気を付けるんだよ。 ゆっくり旅を楽しんでおいで。 今の君一番必要なのは、気持ちをリラックスさせること。 気持ちが落ち着いたら、ロサンゼルスから電車で帰って来い。 俺か母さんのどちらかで君を駅まで迎えに行くから。 戻ってきてからは、気持ちを新たにまた元気にここで暮らせば良いさ」 父はこうも言った。「戻ってくるのは水曜日以降にしなさい」 その日は土曜日だった。車を飛ばせば今日の深夜にはロスに着ける。 明日の夕方に電車に乗って、明後日の朝にはギャラップに着くことができる。 でも父は、戻りは水曜日以降にしなさいと言い張った。 父はメディスンマンだから、何かを察していたに違いない。 そこで私は道中で、セドナに立ち寄ることに決めた。 ロサンゼルスに着いたら1-2泊して、ビーチでローラーブレードをしよう。 それからロサンゼルスの友人と待ち合わせして、お気に入りのカフェに行くのも良い。 モカコーヒーを飲みながら、ニューヨーク・チーズケーキを食べよう・・・。 朝食が済んで両親と弟にそれぞれ固くハグをして、私はロサンゼルスに向けて旅立った。
「両親のお説教」ナバホ体験記
ナバホ両親の家に戻ると、両親は外のピクニックテーブルに座って私のことを待っていた。 私が車から出ると、私は両親から痛いほどきつくハグをされた。「よく頑張ったな。おかえり」 私は両親にその日あった出来事を全て話した。それから何時間も、両親からくどくどとお説教をされた。 やれ、君は不注意だったとか、人を信用しすぎるからこんな目に遭うんだとか何とか。 同じ事を何度も繰り返し言う両親に対して所々ムッとしながらも、両親が本気で私のことを心配してくれている愛情が痛いほどに伝わっていた。 私が十分に反省しているから、このへんで説教を終えて欲しいと私が頼むと、両親はやっとゲラゲラと笑ってくれた。 私もほっとして笑った。 こんな風に気持ちが軽くなって笑えたのは、3週間振りだった。 「さて……」とナバホ父が言った。「君はしばらくここを離れた方が良い。レンタカーを返却しに行ってくればどうだい?」 それは名案だと思った。私は今回、ロサンゼルスで車を借りてきていたのだが、もう中古車を購入したので返却しに行かなければならない。 「それじゃ早い方がいいから、明朝にでも出発しなさい。 君はもう安全な場所にいるんだ。 何も心配せず、今日はゆっくり眠りなさい」 その夜は、弟の二段ベッドの上段で眠る事になった。 弟はとても嬉しそうだった。 「俺さー、いびきがうるさいって人に言われたことがあるんだ。 だから、もしうるさかったら、蹴っ飛ばしてくれて良いからさー」 などと言っていた。 その夜は、弟を蹴っ飛ばしにベッドを降りる必要などなかった。 心身ともにヘトヘトに疲れていたので、ベッドに入った途端、深い眠りに落ちたからだ。
「彼の病気」ナバホ体験記
私はその時まで、彼が精神的に病気だったことを知らなかった。 彼女は彼の病気について、話し始めた。 彼女は FAS と FAE という病名を言った。 初めて聞く用語だったので、私はそれが何を意味するのか分からなかった。 彼女は本棚の中から医学書を出してきて、それらの症状を私に読み聞かせた。 彼は医者から、 FAS だと診断された。 FAS は、日本ではまだまだ認知度が低く、関連情報の量も少ない。日本やアメリカ国内では患者数があまり多くないから、知られていないのだと彼女は言った。 「ネイティブ・アメリカンの間で、特に多い病気なの」と。 FAS とは Fetal Alcohol Syndrome の略で、「胎児性アルコール症候群」(「胎児アルコール症候群」または「胎児アルコール症」とも呼ばれている。 妊娠中の母親が多量のアルコールを摂取すると、胎盤を通じて胎児の体内にアルコールが直接入り込む。 通常、胎盤はあらゆる毒素を除去するのだが、アルコールだけはろ過されずに直接入り込んでしまう。 そのような胎児は、誕生する前からアルコールに浸されてしまい、先天的な障害を持って生まれてくる。 FAS の症状としては以下のようなものが挙げられる。 1)知能指数の低さ。学習能力に欠けている。→ 彼は文字の読み書きができない。 2)視覚・聴覚・記憶力の障害 → 彼はよく同じ話をする。記憶が定かではない。 3)行動障害 物事の善悪の判断がつかない 彼の母親は重度のアルコール依存症だった。 彼を身籠った時も、母親はアルコール摂取を止めなかった。 そうして 彼は生まれつき、アルコールの被害を受けていた。 彼自身も、まだほんの子供だった時からアルコールにおぼれ始めた。 彼の両親は仕事をせず、政府の援助金やフードスタンプを与えられていた。 彼の両親はそれらの食料や援助金を、すべてアルコールにつぎ込んだ。 そんな風に彼は、幼い頃からアルコールが手の届く所にあった。 彼は10代の初めから、既にアルコール依存症になっていた。 アルコール依存症になると、アルコールが無くなる事が何よりも怖くなる。 そしてアルコールの役割を果たしてくれるものなら、何でも口に入れるようになる。 マウスウォッシュやヘアスプレー、歯磨き粉などには、アルコールが含まれている。 これらを水で溶かして飲むようになる。 想像しただけでも吐き気がしてくるが、実際アル中の人々は離脱症状の苦しさから逃れるために、そうやって常にアルコールを体内に補給し続ける。 これを防止するため、保留地内のいくつかの店では、マウスウォッシュやヘアスプレーなどは店の奥にしまいこんでいて、本当にこれらの商品が必要な人だけに売るということをしている。 私は彼がアルコールを飲んでいる姿を、一度も見た事がなかった。 彼は何度もアルコール更正施設に入って、アルコールを体内から抜くという訓練を行っていたのだそうだ。それに、セレモニーを何度も受けながら、スピリットの助けを借りているからなのだそうだ。 彼女は自分の給料をほとんどすべて、彼の医療費やセレモニー費用に注ぎ込んできた。 そんなことが何年も続いているらしい。 「あなたは本当に彼のことを愛しているのね?」 と私が言うと、彼女はそれを否定した。 「怖いのよ。怖いから離れられないの。あの人は恐ろしい人だから……」 彼女は何度も彼の元を離れようと試みたらしい。Continue reading “「彼の病気」ナバホ体験記”
「修羅場」ナバホ体験記
彼らの敷地に入った瞬間、ぞっとするほどの嫌な空気を肌で感じて鳥肌が立った。 私が暮らしていたトレーラーハウスに入ると、私のベッドの上に彼が腰掛いていた。 彼の隣には、機関銃の手入れをしている別の大男がいる。 ??? どういうこと??? トレーラーハウスには鍵があって、鍵は一つしかないと聞かされていた。 つまり、私しか持っていないはずだった。 彼らは合鍵を持っていたんだ。 私には一つしかないと嘘をついていた・・・。 私は無理やり笑顔を作って、男性に 「元気?」 と挨拶をした。 彼も 「やぁ」 と返事をした。 彼もまた、作り笑いを浮かべた。 彼は大男の事を、自分の従兄弟だと紹介した。 従兄弟は、私と握手をしようとせず、私の挨拶に対する返答もせず、ただ黙々と機関銃をクロスで磨いている。 私の両手と両足がかすかに震え始めた。 それを気付かれまいと必死に平静をつくろいながら、私は荷物をまとめはじめた。 「何してるんだ?」 男性がすかさず大声で私に聞いた。 「ナバホの両親の家に引っ越そうと思って…。今までありがとうね」 そう返答すると、彼の表情がさっと青ざめた。 彼は従兄弟に目で合図をし、従兄弟はさっとトレーラーハウスの外に出ていった。 部屋の中には私と彼だけが残された。 彼はすごい勢いで私の体を引き寄せ、「君を愛している。出て行かないでくれ。ずっと俺とここにいてくれ。 1人ぼっちにしないでくれ」 と懇願した。 びっくりして突き放そうとしたが、彼の力が強すぎて身動きができない。 「何言ってるの? あなたには奥さんがいるじゃない? あなたは1人じゃない」 「俺の事を好きだって言ったじゃないか?」と彼が続ける。 ・・・確かに私はそう言った。 それは覚えている。 何日か前に彼が ”Do you like me?” と聞いたとき、軽く”Yeah” と答えた。 でも私は ”I love you.” と言った訳ではない。 私の中では、 ”like” と ”love” は全く別物だった。 だから友人として ”like” を使っても罪ではないと勝手に解釈していた。 それに、友人同士でも親しければ ”I loveContinue reading “「修羅場」ナバホ体験記”
「親はいつだって親」ナバホ体験記
マークと約束をしたので、ナバホ両親の家に会いにいった。 私はナバホ両親の助言を聞き入れずに勝手な行動をしていたので、ナバホ両親の家に行くのは勇気が必要だった。マークがあんな風に私を駆り立ててくれなかったら、きっと来られなかったと思う。 私の心配をよそに、ナバホ両親はいつものように暖かかった。 家の前で車を降りた瞬間に、ナバホ父は私をきつく抱きしめてくれた。 「俺達のワンパク娘は元気にしていたか?」 ”naughty daughter”(ワンパク娘) と呼ばれてムッとしたが、確かにそうだ。 私は両親の言いつけを聞かない強情な娘だった。 両親は私が彼らと暮らす事を最初から反対していたのだから・・・。 「君は誰の事でも簡単に信用しすぎる。 もっと注意を向けなさい。 もっと気を付けなさい」 彼らにこの言葉を何度言われたことか……。 それでも私は両親の言いつけを聞かず、家を飛び出して行ったのだ。 マークに話したのと同じことをナバホ両親に話した。 ナバホ父はこう言った。 「今からすぐに彼らの家に戻って、荷物を全部取ってきなさい。 彼らには何も言う必要はない。 両親の所に引っ越すんだとだけ言いなさい。 君がどんな弁明をしたところで、彼らには通じないだろう。 彼らは君にウィッチクラフトをかけてくるかもしれない。 いや、もうかけているんだろうな。 家に戻ってきたら、しばらく君は外出禁止だ」 両親はそのまま私と一緒に、彼らの家の前までついてきてくれた。 彼らの敷地の前で、私は車を降りた。 母は私のことをとても心配していて、「この子1人じゃ危ないから一緒に行こう」 と父に言ってくれたが、父が母を制した。 そして父は、私の目を見て、こう言った。 「ここから先は、君1人で行きなさい。 君はここから修羅場をくぐり抜けてこなければならない。 君なら乗り越えられる。 俺は君の強さを信じている。 彼らは君を引き止めるために、いろいろ言ってくるだろうが、何を言われても何をされても、必ず俺達の家に戻って来い。 絶対忘れるな。 俺達が君の両親だ。 君には俺達がついている。 君は1人ぼっちではないんだ」 寒気がした。 これから何が起こるっていうんだろう? 修羅場? まさか? 怖いけど、自分で蒔いた種なんだ。 自分で決着をつけなきゃ・・・。
「ナバホ女性の嫉妬」ナバホ体験記
住み始めてずっと親切にしてくれていたナバホ女性が、ある時を境に私に冷たく接するようになった。原因が分からなかった。 その頃になると、彼らの敷地で一日中を過ごすのが嫌で、私は何かと理由をつけて外に出掛けるようになっていた。 その日は友人のマークの家に行った。事情を話してみると、彼は真顔で私にこう聞いた。 「その女性が君の事をうとましく思っている原因を、君は本当に分からないの?」 分からなかった。私はその男性にも女性にも、出来る限りの誠意を尽くしているつもりだった。 マークは思いがけないことを言った。 「その女性は君に嫉妬しているんだよ。 君が彼のことを奪ってしまうのではないかと恐れているんだ。 君はその男のことを好きなの?」 嫉妬? まさかね。 そんなはずは無いと思った。 私はその男性のことを友人として好きだし、そもそも彼の面倒を見てやってくれと頼んだのは彼女だった。 「彼は車の運転が出来ない。 だからどこか用事があるときには一緒に行ってあげて欲しい。 本当は自分がそうしなければいけないのだけど、自分には仕事があるので毎日そばについている訳にはいかない。 あなたが彼のそばにいてくれると助かるのよ」 だから私は、この男性のそばにいることが彼らの敷地にいさせてもらえる条件だと思っていた。 大体、私は、誰かから嫉妬されるなんて、今まで経験したことが無かった。 私に頼んでおきながら、嫉妬するなんて、矛盾している。 だから彼女が嫉妬しているなんて、あり得ないと思った。 マークはこう続けた。 「君はナバホの性格をもっと知らなきゃ。 ナバホの人達はとても嫉妬深いんだ。 勿論、全員じゃない。 良識のあるナバホだってたくさんいる。 でも、ナバホの人達の中で嫉妬深い人はすごく多い。 これが事実だ。 君はウィッチクラフトという言葉を聞いた事があるか?」 またこの言葉だ・・・。 「ある」と私は答えた。 マークはこう聞いた。 「俺はその男のことを知ってると思う。 そいつは以前、ミュージアムで働いてたことことがあるか?」 そう言えば彼からそんなことを聞いたことがある。 「そうだよ」と私が答えると、マークの表情は険しくなった。 「そうか・・・。 だったら君は、一刻も早くそこを出なきゃいけない。 君はもう彼らにウィッチクラフトをかけられているかもしれない。 捕らわれてしまっているんだ。 俺に分かるのは、君がそこに居続ければ、どんどん危険な状態になるということだ。 君はナバホの両親に相談しなきゃいけない。 君の両親は立派な人達だ。 きっと君を助けてくれる」 助けてくれるってどういうこと? そんなに危険な人達なの? 両親に助けてもらわないといけないくらい、私は危険な状態にあるの?? 心臓がバクバクした。 マークはその日、「ナバホの両親に会いに行くこと」 と 「彼らの敷地から一刻も早く出ること」 を私に約束させた。
「寄り道」 ナバホ体験記
今でも時々、自分の軽々しい行動や決断を恥じる事がある。 この一件はまさしくそうだ。 ************* 私が楽しみにしていたナバホ両親の元に養子縁組してもらうという件は、一向に進まなかった。 冷静に考えれば、当然、無理な話だったのだ。 ナバホ両親は私にこう言った。 「君がまだ日本にいる間にも、私達は部族議会の知り合いに聞いて回った。 ナバホ議会やセレモニーを通して、君を私達の娘として正式に養子として書類に残すことは可能だ。 でもその書類が効力を発揮するのは、あくまでも保留地内だけのことだ。 君がアメリカで長期間暮らすために必要なビザやソーシャルセキュリティの発行はアメリカ政府の管轄で、残念ながらナバホ政府にはそこまでの権力がない。 何か他の手段を考えてみよう。 君ががっかりする気持ちはよく分かる。 でもきっと何か道はあるはずだ。 時間はかかるかもしれないが、一緒に考えていこう。 私達が君の保護者であり、両親であることは変わらない。 君が私達の大事な娘であることも変わらないから・・・」 そんな優しいナバホ両親の心を知らず、私はすねて、絶望していた。 自力で何とか道を切り開かなくてはと焦るようになった。 ここから怒涛のように、私の苦難の道のりが続くことになる。 **************** ナバホ両親と養子縁組の話をした数日後、ナバホ国では Navajo Fair が開催された。 私はパレードを見に出かけ、そこで知り合いになったナバホ男性に誘われるまま、彼と彼の内縁の妻の家に行き、そこで数日間暮らすことにした。 彼らは空家を3つほど所有していて、その内の1つに住んでも良いと言われて、有頂天になっていた。 私が数日間使わせてもらったのは、古いトレーラーハウスだった。部屋が二つあって、真ん中にキッチンがある。水道や電気、ガスは来ていないので、食事を作るのは外のカマドで、トイレはそこから 300 メートル離れた屋外トイレを使うことになった。 住み始めて数日で、この家とこの敷地全体の異変に気付くようになった。 家の中ではラップ現象が起こる。 家の中に誰かがいて動き回っているかのようにパチパチと音がするし、屋根と家の土台の両方からドンドンと叩く音もする。 それは私が1人でいるときに限って起こる。 敷地内も何か変だ。 どこか落ち着かない。 ずっと誰かに見られている気がするのだ。 思い切って彼に話してみると、彼はあっけないほどすんなり認めた。 「俺にウィッチクラフトをかけたヤツが何人かいるからだ」 とか 「君のことを見ているのはスキンウォーカーだ」 と。 私がこれらの言葉を耳にしたのは、それが初めてだった。ウィッチクラフトというのはブラックマジック(黒魔術)のことで、スキンウォーカーとはそれを現実に行う悪魔の手下のことだ。スキンウォーカーの頭は獣で、首から下は人間の体だという。 この男性は私が出て行ってしまうことを恐れていた。 私がここを出て行くと切り出すと、決まって彼は子供のように泣きじゃくり、「出て行かないでくれ」 と私に懇願した。 彼は私より10歳も年上なのに、精神的には幼い子供のようだった。 知能も低いように思われた。 そのくせ、とても精悍な顔つきをしていて、はっとするほど魅力的なのだ。 彼は同じことを何度も繰り返して話す。 ちょうど子供が母親に対して、いろんな発見物を嬉しそうに報告しているかのように・・・。 ところが時々、とても美しいオリジナルの物語もすらすらと話す。 大抵はナバホの少年の物語だった。 「それってあなたの子供時代の話?」と私が尋ねると、「これは今俺が頭に浮かんだフィクションの物語だ」 と答える。 とてもアンバランスな人。Continue reading “「寄り道」 ナバホ体験記 ”
「車 購入」 ナバホ体験記
ナバホに通い始めた最初の頃は、いつもレンタカーで行動していた。しかしレンタカーの値段は結構高い。安いところでも、保険込みで一ヶ月1000ドル近くかかってしまう。そこで中古車を購入することにした。 ナバホの友人が、保留地外で一番近い大都市(ニューメキシコ州アルバカーキ)に連れて行ってくれた。 まずは中古車ディーラーを5ー6件回って年代や車種ごとの相場を研究。それから白人の住宅街をくまなく探す。車を購入する一番てっとり早い方法は個人から購入することだと彼女は言った。 「どんな車が欲しいのか詳しく話してごらんよ」と彼女が言うので、「色は白。ジープ。割と小さ目の車で、出来れば日本車。2000ドル以下なら即金で買えるんだけどね」と答えた。 すると彼女が「あなたが望んでいるのは、例えばあんな車?」とある方向を指差した。ハンバーガーショップの駐車場に、まさに私が思い描いていたようなジープがある!! 窓には「FOR SALE」の文字。 白の87年もののISUZU。トゥルーパーⅡ(ジープ)。 見た瞬間、「コレダ!!」と思った。オーナーに電話をすると、5分ほどで会いに来てくれた。売値は2500ドルだったのだけど、交渉して2000ドルにまけてもらうことにも成功。あっけないほど簡単に車が見付かり、しかもすべて希望通り。ツイテル!! 持つべき物は友である。 アメリカで車を購入したのは、この時が生まれて初めてのことだったが、手続きは以外に簡単だった。DMV(陸運局のような所)へ行き、タイトル(車検証)のオーナー変更手続きを済ませ、保険会社に寄って、自賠責保険の手続きをする。これで完了。 帰り道、アルバカーキから保留地までの道のりを運転する間、私は心の中でスキップ状態だった。 わたしの新しいパートナー、トゥルーパーⅡちゃん、これから私の良き相棒になってください。
「長期滞在」ナバホ体験記
その当時、私はナバホの大地に腰を落ち着けて暮らす事を真剣に考えていた。まだ私が日本にいる時、ナバホ父と電話で話した。ナバホ父とナバホ母は、どうやったら私をこの国に呼べるのかを、真剣に相談してくれたそうだ。 一番良いのは良い男性が現れて私の身柄を引き取ってくれること、つまり結婚。しかし結婚となるとお互いのことをよく知り合ってからでなければ駄目だ。より深く知り合うためには、やはり長期間で滞在してあちらの生活に慣れることが先決だ。二人は毎日のように、こんな風に私のことを相談してくれていたらしい。 ナバホ父は部族の役所でピースメーカーとして勤務している。 その前はナバホ警察で働いていた。 だから、大勢のナバホ国議会や弁護士とも顔馴染みだ。 討議の結果、ナバホ両親はある結論に至った。 自分達が養子として受け入れる。 もちろん、アリゾナ州の法律上では、これは不可能だ。 養子縁組は、12歳以下の不幸な生い立ちの子供に限定されている。 しかし、ナバホ国の法律はアメリカ政府とは独立して全く別のものだ。 渡米前、電話でナバホ父は私に言ってくれた。 「俺達が君のことを養子にする。これに関しては、電話やメールではなく、会って膝を付き合わせてゆっくり話そう。とにかく、君は長期でこちらに来られるように準備をしなさい。俺達は本気で君を受け入れる覚悟を決めた。だから君も覚悟を決めろ」 ナバホ両親が出したこの結論に、ナバホ弟も大喜びだった。彼は健気にも「俺も全力で君の事を助ける」と言った。 そんな訳で、私は勤めていた会社を退職し、長期滞在の覚悟を決めた。スーツケース2個に出来る限りの服や食料を詰め込み、全財産をドルに両替した。飛行機は復路を後で変更できるように、オープンチケットを購入した。 ***** このときはすべてうまく行くと信じていたし、希望に満ち溢れていた。 しかし、この決断が私にとって長い苦難の幕開けになるとは、このときはまったく気付いていなかった・・
