「裏切り」  ナバホ体験記

私がナバホ国で嫌な思いをするのは、大抵私がナバホ両親とケンカして家を飛び出しているときなのだ。 この一件が起きた頃も、私はナバホ両親の家ではなく、別の友人宅で生活していた。

今となってはケンカの理由を思い出せないのだが、その当時も私はナバホ両親とケンカをして、家を飛び出していた。ケンカの原因は非常にささいなことだったように思う。

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当時私はビザなし滞在だったので、3ヶ月しかアメリカに居られなかった。

そこで、私が日本に帰国している間、その頃仲良くしていたナバホの友人宅に車を置かせてもらうことにした。 またすぐに戻ってくる予定だったし、友人のことを信用していた。

しかしそれからの一年間は、ナバホ国へ戻れなかった。 新しく勤めた会社で、長期休暇の許可が下りなかったのだ。

日本に居る間、ナバホの別の友人や家族から嫌な噂を聞いた。 私の車をあちこちで見たというのである。 彼を信用していたので、車のキーを預けたままだった。

「車を移動することもあるかもしれないから、キーを置いていってくれ。でも俺は君の車を乗り回すようなことはしない」 彼はそう約束したし、私もそれを信じていた。

事実を知りたかった。 しかし当の本人とは連絡が取れない。 友人の家には電話は引かれておらず、唯一の連絡方法だった彼の携帯電話も不通になっている。  もしみんなの言う通り、友人が私の車を乗り回しているとしたら…。 そう考えるとぞっとした。 アメリカを離れているとは言え、車の所有者は私なのだ。 もし事故でも起こされたら、責任が全部私に降りかかる。

友人は私の車を乗り回しているのだろうか? 何か事情があるのかもしれない。 裏切られたと思いたくなかった。 最後まで信じていたかった。 とにかく真実が知りたい…。 一年間、ずっと気になっていた。

ようやく一年後にナバホ国に戻ることが出来た時、初日に友人の家に行ってみた。

私の車は、どこにも無かった。 彼の父親に車のことを聞いても、「知らない」としか言ってくれない。

はがゆかった。どうすればいいんだろう。

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困り果ててナバホ両親に相談すると、まずはこっぴどく叱られた。

「間違いなく、君の車を乗り回していたんだろう。 もしかしたらもう車は退廃しているかもしれないし、誰かに売り払っているかもしれない。 車を残したかったのなら、どうして俺達の家に置いておかなかったんだ? ここは君の家なんだ。俺達は君の親なんだぞ」

そう、私の選択は間違っていた。当時、私はいろんな友人の所を転々としていて、無用心に出会う人すべてを信用していた。 私が本当に信用出来るのは、この家族なのに…。 私は素直では無かった。 家族に甘えたくない、自力で何とか、いろんな友人を作っていろんな経験がしたい…。 いつもいつも両親に頼るのは嫌だ。 そんな風に片意地を張っていたのだった。

その時ナバホ両親に言われたのは、こんなことだった。

「君は簡単に人を信用してしまう所がある。 それはとても危険なことだから、直さなければいけない。 今まで以上にもっともっと注意を払いなさい。 保留地には貧しい人が大勢いる。 日本とは全く違う世界だ。 日本では簡単に人を裏切ったりしないのかもしれない。 だから君は簡単に人を信用するんだろう」

がっくりと肩を落としている私のことを、ナバホ両親はしっかりと抱きしめてくれた。

「確かに君は間違った選択をした。 でも大丈夫。 これで終わりじゃない。 俺達はみんな、学びのプロセスにいるんだ。間違ったら、そこから学べば良い。 同じ間違いをしない為にどうすればいいのか、考えればいい。 そうやって俺達は、少しずつ利口になっていくんだ」

そうして、ナバホ両親は私を州の警察署まで連れて行ってくれた。

「州の警察署に俺の親しい友人がいるんだ。 まずは彼に相談してみよう」 と。

警察で事情を話し、調書を取ってもらった。 パスポートを見せて、私が一年間日本に居たことを証明した。 前回帰国する前にDMVに提出した書類(帰国するので、車は友人のところに一時的に保管させてもらうが、その間は誰もこの車を運転しませんという誓約書)、それに友人が日本の私に送ってきたエアメール (君の車は誰にも運転させないし、自分も乗り回したりしない、と書かれてあった)を提出した。 これらの手続きによって、私がアメリカ国外にいる間に私以外の運転手が事故を起こしていたとしても、私は責任を負わなくて済むようにしてくれた。

その後、一人の警察官が私と一緒にその友人の家まで同行してくれて、友人の父親に事情聴取をしてくれた。(友人はこの日、不在だった) 警察が現れたのでやっと、友人の父親は私達に真実を話した。

友人は仕事でアルバカーキに引っ越すことになり、私の車のキーを彼の父親に預けた。 父親は、親戚が車を貸して欲しいと何度も頼みに来て断ることが出来ず、何度か貸したことがあった。 その後、どうしてもお金が必要になったので、ある人に車を売ったのだそうだ。 そう言って、友人の父親は、私に700ドルを手渡した。

最後まで、友人の父親は謝罪をしなかった。 私が一番欲しかったのは、お金ではなく謝罪の言葉だったのに・・・。

それがとても残念だった。

この事件が終わって、何年か過ぎた。 私の中に、もう怒りは残っていない。

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ナバホ両親にはとても感謝している。 私のことを真剣に叱ってくれた事、警察に一緒に行って説明してくれた事。 私を今でも娘だと言ってくれること。

ナバホ両親が居なかったら、警察もわざわざこんな小さな事件に関与してくれるようなことは無かっただろう。 私はナバホ両親の元を離れるべきではないんだ。 このことを実際に私が知るまで、何年もの月日と失敗を重ねてしまった。 つくづく私は馬鹿だったと思う。

「ナバホ流の祈り方」ナバホ体験記

ナバホ国でヒーリング・セレモニーやスウェット・ロッジ・セレモニーを体験する中で、学んだナバホ流の祈り方がある。ここで紹介しておきたい。

ナバホの人々は、あらゆるものとの調和こそが美であり、平和であると信じている。そして、自分の周囲の人達・環境は、すべて自分につながっていると信じている。

祈りはまず、自分を支えてくれているスピリット達に対して、感謝の気持ちを述べる所から入る。この世に生を受けている人は誰でも、多くのスピリット達に支えられて生きている。一人ぼっちで生きているように思えたとしても、助けている人(スピリット)は必ず存在する。自分が生かされていること、支えられて生きていることに気付き、感謝する。そうすると、その守りや導きの力は、一層パワフルになる。

それから、自分の親しい家族や恋人、友人、親戚などで何かに苦しんでいる人がいれば、その人のために祈る。その人が苦しみから解き放たれ、心身ともに調和を取り戻せるように祈る。全てのものは一つなのだから、その人が調和を取り戻せば、その幸せが自分にも返ってくるという考え方だ。

そしてやっと、自分自身のことを祈る。ネイティブ・アメリカンなら大抵の部族がそうなのだと思うが、祈りはすべて現在形で話す。その方が効果的だからだ。祈りの時には hope や wish は使わない。

私はナバホ国に通うようになるまでは、祈りの中で 「…できますように」 とか 「…になれますように」 という言葉を使っていた。あるヒーリングセレモニーに参加したときに、メディスンマンにこんなことを言われた。「君はその祈りを第三者的に漠然と考えているのか? 本気でそれを実現させようと思うのなら、祈りは必ず現在形で口に出しなさい」

確かにそうだと思った。この人生の主役は、自分なのだ。自分が 「こうありたい」 とか 「こうしたい」 と考えた事を実現できるのは、他の誰でもなく自分自身なのだ。それ以来私は、祈りを現在形で口に出すようになった。するとそれはもう、祈りというより commitment (宣言)になる。

私の友人、マークが言った言葉が腑に落ちたので、ここに紹介しておきたい。

彼は神様の存在を信じている。彼はクリスチャンでも仏教徒でもない。伝統的なナバホの教えを守っている普通の青年で、熱狂的な宗教家などではない。

彼いわく、神様というのは呼び名はそれぞれの宗教・国・文化によって異なるが、結局の所、1つの存在だ。彼自身はクリエイター(創造主)という単語を使っている。

クリエイターは確かに存在する。ずっとずっと遠くの方から、私達人間一人一人を公平に見守っている。

クリエイターに何かお祈りをしたいのなら、こちらがその祈りに対して本気だという証を見せなくてはいけない。何しろ、クリエイターは遠くにいるのだ。そして私達全員を見守っていて、忙しいのだ。

彼の言う 「本気だという証」 とは、私達がクリエイターまでの距離の半分を出向いていくということらしい。勿論これは彼なりの比喩であって、文字通りどこかに出向くとか、何か高級な祈りグッズを購入するとか、高価な額を支払って盛大にセレモニーを行う事などではない。 自分が祈りに対して本気であることを行動で示す事だ。

すぐにクリエイターが半分の道を降りてきてくれる訳ではない。気付いてもらえるまで、何度も何度も出向いていく必要がある。やがて、クリエイターがこちらの存在に気付いてくれた時、クリエイターはやっとその残り半分の道を降りてきてくれる。その時初めて、クリエイターに直接詳しく話す事ができるのだと思う、と彼は言っていた。

「ナバホ流、朝のお祈り」ナバホ体験記

その頃から私は、朝のお祈りをナバホ語でするようになった。

あいにく私のコンピュータにはナバホ語のフォントがないので、文字表記は本来のものと異なるのでご了承いただきたい。

Kodoo Hozhoo dooleel

Nahasdzaan Shima, Yadilhil Shitaa’

Bil Hayoolkali, Hohodeetl’iizh

Nohootsooi, Chahalheel

Sis Naajini, Tsoodzil

Dook’o’oosliid doo Dzil Dibe Nitsaa

Dzil Na’oodlii, Ch’ool’i’i’

Haasch’eeyaalti’i shicheii

Haashch’eewaan Shicheii

Yoolgaii Asdzaa Shima, Asdzaa Nadleehe Shima

Naada’algaii Ashkii, Naada’altshooi At’eed

Yodi Altaas’ei, Nitl’iz Altaas’ei

To Altah Nashchiin, Tobiyaazh

Tadidiin Ashkii, Anilt’anii At’eed

Sa’ah Naaghai Ashkii, Bik’eh Hozhoon At’eed

Hozho Nahasdlii’

Hozho Nahasdlii’

Hozho Nahasdlii’

Hozho Nahasdlii’

今この瞬間から私は調和の元にコーン・ポラン・ロードを歩いていきます

母なる大地、父なる宇宙よ

東の白の夜明けのスピリット、南の青の昼のスピリット

西の黄色の夕暮れのスピリット、北の黒の夜中のスピリット

東のブランカ山、南のテイラー山

西のサンフランシスコ・ピーク、北のラプラタ山

Huerfano メサ、 Gobernador 山

私のおじいさん 「東の語る神」

私のおじいさん 「西の語る神」

私のお母さん 「白い貝殻の女」、私のお母さん 「変わる女」

「白いトウモロコシの少年」、「黄色いトウモロコシの少女」

私の宝石達、4方向の聖なる鉱物達

「あらゆる形の水たち」、「水の少年」

「トウモロコシの花粉の少年」、「トウモロコシの花粉と共にいる少女」

男性性を持ったスピリチュアルな人生の空、女性性を持ったスピリチュアルな人生の美

私は調和の元にコーン・ポラン・ロードを歩きます

全てが調和の元に進んでいきます

「ナバホ流自己紹介」ナバホ体験記

ナバホ父の講義にもあったように、ナバホの人々は自分につながるすべてのスピリットとの調和を常に念頭に入れている。自分という人間をこの世に送り出してくれたスピリット達、それに自分につながる近い親戚の事も常に念頭に入れている。

ナバホ国にはクラン制度というものがある。このクラン制度によって、ナバホの人々には身寄りのない人などどこにも居ない事になる。もし実際に親兄弟、祖父母、従兄弟などが居ない人であっても、クラン制度による親兄弟、祖父母、従兄弟などが必ず存在する。

ナバホ神話によると、「変わる女」が腕の下の肌を擦ることによって、最初の4人の人間達を作ったとされている。(ナバホ神話には諸説ある。私が参照したのは、ナバホ保留地内の学校で配布された資料による)

最初の4つのクランは

1 Todich’ii’nii (The bitter water clan)

2 To’ahani (Near the water clan)

3 Kinyaa’aanii (The towering house clan)

4 Totsohnii (Big water clan)

だという。

以降、人々は他の土地へ行ったり、逆に他の土地から人々が入ってきたり、他の部族と結婚したりすることで、クランの種類が増えていった。このクランにはグループ分けがあって、関連がある。

もし私がナバホに生まれていたとしたら、好きな人が現れたらまずその人のクランを尋ねるだろう。各クランにはそれぞれ結婚できないクランがあるからだ。もし、好きな人がその結婚できないクランに属していたら、結婚はあきらめなければならない。結婚できないクランというのは、自分の祖先が親戚関係にあったことを意味する。近親相姦的な関係になってしまい、生まれてくる子供に影響が出るというのが理由らしい。

伝統的なナバホなら、公の場で自己紹介をする時、こんな風に話す。

「私のクランはXXXです。父のクランはXXXで、母方の祖父のクランはXXXで、父方の祖父のクランはXXXです」

子供は母親のクランを引き継ぐことになっている。例えば私の場合、こんな風になる。

“I am Naakaii Dine’e, born for Kinlichii’nii.  My maternal granpa is Bit’ahnii, paternal granpa is Honaghaahnii.”

「父の講義ーナバホ哲学」ナバホ体験記

父の講義は、こんな内容だった。

私達はみな、生まれる前に母の子宮にいた。暖かい水の中で居心地の良い所。平和そのものだ。しかし、ある一定期間を過ぎると、私達はその平和な場所から出て来なければならない。それが誕生だ。

生まれてきて初めて私達は空気を吸い、泣き始める。その泣き声は似通って聞こえるものだが、実際には1人として同じではない。ホーリーピープルは、この違いを聞き分けることが出来る。

私達はいつも守られている。ナバホ哲学では、体の7つの部位にはそれぞれエネルギーを与えてくれる、もしくは影響を与えてくれる部位があると信じられており、それぞれ身に着けるべきアクセサリーや衣装が決められている。

1) Left leg 左足ーー父方の祖父

2) Right leg 右足ーー母方の祖父

3) Left hand 左手ーー父方の祖母

4)Right hand 右手ーー母方の祖母

5) Heart 心ーー母

6)Head 頭ーー父

7)All 全体ーー自分自身

昔のナバホの人達が各部位にそれぞれターコイズのネックレス、ブレスレット、そしてバックスキンの服とモカシンを身に着けるのは、自分につながるスピリット達に守りを請うためであり、またスピリット達に気付いてもらうためだ。単なるアクセサリーなどではなく、それぞれ神話に基づく由縁や意味がある。

頭のてっぺんには、羽飾りを付けていた。これはガイドスピリットを意味する。

幼い頃には誰かの助けを借りて生きていく。ある一定の時期を過ぎると、少年・少女は一人前の大人の男・女に変化する。ナバホでは「キナスタ」・「キナルダ」というセレモニーを行い、ホーリーピープルに報告する。

そうして大人になった男・女は、それぞれ自分の足で歩き始める。Corn Pollan Road を歩く事、つまり自分のスピリットの声に従ってビジョンをまっとうする事が人生の目的だ。

ビジョンに従って生きていく時には、学びのプロセスを踏む事になる。ナバホ哲学ではこのプロセスを4つの色、4つの段階で説明している。

1.黒の段階: 物事を始めようとする段階。思考の段階。何事もはっきりとは見えてこない。ただ想像だけが行き交う。ある時には混乱して何もかもが駄目なように見え、またある時には全てがうまくいくように見える。

2.青の段階: 実行する、試してみる段階。口に出してみる段階。積極的に推し進めていく必要がある時もあるし、またある時にはじっと待って受動的に受け取る必要もある。

3.黄の段階: 周囲の人達の意見や知恵を聞く段階。話し合う段階。ポジティブな意見もネガティブな意見も両方出てくる。それらを全て選り好みせずに聞き、学ぶ必要がある。

4.白の段階: 現実化する段階。ポジティブな結果もネガティブな結果も、両方が出てくる。

このプロセスの途中にはいろんなことが起こり得る。自分のビジョンが見えなくなったり、自分自身が見えなくなったりして Corn Pollan Road を見失ってしまったときには、beauty way ceremony や blessing way ceremony を行って、スピリット達に助けを求める。

最終的にはあらゆるものが調和の元にポジティブな結果を生み出すことが目的だ。

そこに至るまでにはいろんなプロセスを超えていかなければならない。そして何よりも大切なのは、自分を見失わない事。自分という人間を見守っているスピリット達が存在するということ、自分の生まれてきた目的をもう一度思い出すことが大切だ。

「父の講義 ー 家族の紹介」ナバホ体験記

翌朝私はギャラップ駅に着いた。父が駅まで迎えに来てくれた。

父は私に会うなり、「今日の夕方、俺は大学でナバホ哲学についての講義をするんだ」と言った。昨日弟が電話口で言った「ちょうど良かった」とは、この講義に私が間に合うようにと思っていたのだろう。

それからバタバタと準備をして、両親と私の3人は大学へ向かった。

講義の最初に、父は母のことをこんな風に紹介した。

「私の大切なパートナーです。彼女は私の一部でもあります。私達が一緒になってから、もう 32 年の月日が流れました。私達は決して、仲むつまじい夫婦などではありません。しょっちゅう喧嘩をするし、離れようと思ったことも一度や二度どころでは無いからです。けれども最後には、いつも仲直りをすることになります。私は彼女と共に生きています。

彼女がいなければ、私はここまで来れていなかったと思います。普段は照れくさくてなかなか言葉にできないので、今日この場を借りて、私のパートナーにお礼を言いたいと思います。いつもありがとう」

母は薄っすら涙ぐんでいるようだった。それから父は私の方に向き直り、こう紹介した。

「この子は私達の娘です。血のつながりはないけれど、私達夫婦はスピリチュアルな方法で彼女を養子として迎え入れました。

彼女のスピリットは『優しい水・女性の水』です。彼女は gentleness そのものです。誤解してもらいたくないのは、この gentleness とは、人や環境に流されるような弱いものではないということです。

女性の水は、大地をしっとり潤してくれる命の源であり、エネルギーです。でもその優しいエネルギーの一方では、周囲のものを一気に流し去り環境をまるきり変えてしまうほどのパワーも秘めています。どんな武器や兵器や敵にも勝るほどの強さを秘めているのです。

彼女自身もそうです。私はこの子に初めて会った時、瞳の奥に秘められた強さに気付きました。ところが、彼女はまだ自分の中に潜んでいる強さに気付いていません。

優しさと強さの両方をバランス良く使えるようになることが、これからの彼女の課題です。 彼女にはまだまだたくさん学ぶ必要があるようです。

私達夫婦には息子が2人いますが、娘はいません。娘を持つのが初めての新米親ゆえに、娘にどう接すれば良いのかとまどうこともあります。一つ分かっているのは、彼女を娘として迎えてから、私達はかけがえのない経験をさせてもらっているということです。

彼女は自分のビジョンを信じて、この大地にやってきました。私達は彼女の勇気を尊敬しています。そして出来る限り助けてあげようと決めました。娘にも、今日この場をお借りしてお礼を言いたいと思います。私達の娘になってくれて、ありがとう。君が進む道のりはまだまだ遠い。一緒に頑張っていこう」

その場にいた人達全員が一斉に拍手をし始めた。それから1人ずつ立ち上がり、私のところまでやってきて握手をし、ハグをしてくれた。みんなそれぞれ 「頑張れ!」 と声を掛けてくれた。

嬉しかった。とても嬉しかったし、感動していた。

それから父の講義が始まった。

「ロサンゼルスまでの旅」ナバホ体験記

ロサンゼルスまでの旅は、大きな問題もなくスムーズに流れた。

私はいつもナバホの大地を去るときに涙をこぼすのだが、今回はそんな必要は無かった。 今回は数日後に、またこの大地に戻ってくるのだから。

一泊目はセドナに泊まった。以前泊まったホステルに行ってみた。以前親切にしてくれたココ・ナンバーワンに会いたかったのだが、残念なことに彼女はもういなかった。経営不振でオーナーが変わったのだそうだ。

セドナで1泊、それからバーストウで1泊、ロスに到着してから2泊した。旅で出会った人たちは皆、親切にしてくれた。

セドナでは IBM の重役だという男性と共に、ハイキングに出掛けた。

バーストウで入ったタイレストランのお客が、私にディナーをご馳走してくれた。(私が貧乏そうに見えたのかもしれない)

ロスではいつも見慣れた光景の中で、ビーチで散歩したりローラーブレードを楽しんだりした。そうして、心が十分にリフレッシュできたのを感じた。

火曜日の夜、アムトラックのロサンゼルス駅からナバホ両親の家に電話をした。電話に出たのは弟だった。

彼は「ちょうど良かった」と言った。何がちょうど良いのかと聞き直してみたが、周囲の騒音がひどくて、弟の言った言葉が聞き取れなかった。

とりあえず、私が今から電車に乗る事だけは伝わっているはずだ。明日朝にはナバホの大地に戻れる。そう思うと、ワクワクしてきた。

私は満面の笑みで電車に乗り込んだ。

「出直し」ナバホ体験記

翌朝は騒々しい歌声で目覚めた。ナバホ父の歌声だ。眠い目をこすりながら、もたもたとベッドの梯子を降りていくと、弟も同じように寝ぼけながら目をこすっている。

「何時?」と私が弟に聞くと、彼は言葉を発するのももどかしいらしく黙って時計を指差した。まだ朝の5時だ。

台所へ行くと、父がナバホ語で歌を歌いながら料理をしている。

「おはよう、俺のワンパク娘。 早く顔を洗って来い。 フレッシュコーヒーと俺の特性サンドイッチがある」

 ナバホ母はまだベッドにいて、私に向かってにんまりと笑った。「うまい朝食を娘に食べさせて、娘を見送るんだって」

 顔を洗ってダイニングテーブルに着いた頃には、席にみんなの分の朝食とコーヒーが盛り付けてあった。

父の作ってくれた朝食は美味しかった。具がたんまりと詰まった分厚いサンドイッチに、ハッシュドポテト。 父が料理できるなんて知らなかった。

父はこう言った。「ロサンゼルスまでの道中、気を付けるんだよ。 ゆっくり旅を楽しんでおいで。 今の君一番必要なのは、気持ちをリラックスさせること。 気持ちが落ち着いたら、ロサンゼルスから電車で帰って来い。 俺か母さんのどちらかで君を駅まで迎えに行くから。 戻ってきてからは、気持ちを新たにまた元気にここで暮らせば良いさ」

父はこうも言った。「戻ってくるのは水曜日以降にしなさい」

 その日は土曜日だった。車を飛ばせば今日の深夜にはロスに着ける。 明日の夕方に電車に乗って、明後日の朝にはギャラップに着くことができる。

でも父は、戻りは水曜日以降にしなさいと言い張った。 父はメディスンマンだから、何かを察していたに違いない。

そこで私は道中で、セドナに立ち寄ることに決めた。 ロサンゼルスに着いたら1-2泊して、ビーチでローラーブレードをしよう。 それからロサンゼルスの友人と待ち合わせして、お気に入りのカフェに行くのも良い。 モカコーヒーを飲みながら、ニューヨーク・チーズケーキを食べよう・・・。

朝食が済んで両親と弟にそれぞれ固くハグをして、私はロサンゼルスに向けて旅立った。

「両親のお説教」ナバホ体験記

ナバホ両親の家に戻ると、両親は外のピクニックテーブルに座って私のことを待っていた。

私が車から出ると、私は両親から痛いほどきつくハグをされた。「よく頑張ったな。おかえり」

私は両親にその日あった出来事を全て話した。それから何時間も、両親からくどくどとお説教をされた。

やれ、君は不注意だったとか、人を信用しすぎるからこんな目に遭うんだとか何とか。 同じ事を何度も繰り返し言う両親に対して所々ムッとしながらも、両親が本気で私のことを心配してくれている愛情が痛いほどに伝わっていた。 私が十分に反省しているから、このへんで説教を終えて欲しいと私が頼むと、両親はやっとゲラゲラと笑ってくれた。 私もほっとして笑った。 こんな風に気持ちが軽くなって笑えたのは、3週間振りだった。

「さて……」とナバホ父が言った。「君はしばらくここを離れた方が良い。レンタカーを返却しに行ってくればどうだい?」

それは名案だと思った。私は今回、ロサンゼルスで車を借りてきていたのだが、もう中古車を購入したので返却しに行かなければならない。

 「それじゃ早い方がいいから、明朝にでも出発しなさい。 君はもう安全な場所にいるんだ。 何も心配せず、今日はゆっくり眠りなさい」

 その夜は、弟の二段ベッドの上段で眠る事になった。 弟はとても嬉しそうだった。

「俺さー、いびきがうるさいって人に言われたことがあるんだ。 だから、もしうるさかったら、蹴っ飛ばしてくれて良いからさー」 などと言っていた。

その夜は、弟を蹴っ飛ばしにベッドを降りる必要などなかった。 心身ともにヘトヘトに疲れていたので、ベッドに入った途端、深い眠りに落ちたからだ。

「彼の病気」ナバホ体験記

私はその時まで、彼が精神的に病気だったことを知らなかった。

彼女は彼の病気について、話し始めた。

彼女は FAS と FAE という病名を言った。 初めて聞く用語だったので、私はそれが何を意味するのか分からなかった。 彼女は本棚の中から医学書を出してきて、それらの症状を私に読み聞かせた。

彼は医者から、 FAS だと診断された。 FAS は、日本ではまだまだ認知度が低く、関連情報の量も少ない。日本やアメリカ国内では患者数があまり多くないから、知られていないのだと彼女は言った。 「ネイティブ・アメリカンの間で、特に多い病気なの」と。

FAS とは Fetal Alcohol Syndrome の略で、「胎児性アルコール症候群」(「胎児アルコール症候群」または「胎児アルコール症」とも呼ばれている。 妊娠中の母親が多量のアルコールを摂取すると、胎盤を通じて胎児の体内にアルコールが直接入り込む。 通常、胎盤はあらゆる毒素を除去するのだが、アルコールだけはろ過されずに直接入り込んでしまう。

そのような胎児は、誕生する前からアルコールに浸されてしまい、先天的な障害を持って生まれてくる。

FAS の症状としては以下のようなものが挙げられる。

1)知能指数の低さ。学習能力に欠けている。→ 彼は文字の読み書きができない。

2)視覚・聴覚・記憶力の障害 → 彼はよく同じ話をする。記憶が定かではない。

3)行動障害 物事の善悪の判断がつかない

彼の母親は重度のアルコール依存症だった。 彼を身籠った時も、母親はアルコール摂取を止めなかった。 そうして 彼は生まれつき、アルコールの被害を受けていた。

彼自身も、まだほんの子供だった時からアルコールにおぼれ始めた。 彼の両親は仕事をせず、政府の援助金やフードスタンプを与えられていた。 彼の両親はそれらの食料や援助金を、すべてアルコールにつぎ込んだ。 そんな風に彼は、幼い頃からアルコールが手の届く所にあった。

彼は10代の初めから、既にアルコール依存症になっていた。 アルコール依存症になると、アルコールが無くなる事が何よりも怖くなる。 そしてアルコールの役割を果たしてくれるものなら、何でも口に入れるようになる。

マウスウォッシュやヘアスプレー、歯磨き粉などには、アルコールが含まれている。 これらを水で溶かして飲むようになる。 想像しただけでも吐き気がしてくるが、実際アル中の人々は離脱症状の苦しさから逃れるために、そうやって常にアルコールを体内に補給し続ける。

これを防止するため、保留地内のいくつかの店では、マウスウォッシュやヘアスプレーなどは店の奥にしまいこんでいて、本当にこれらの商品が必要な人だけに売るということをしている。

私は彼がアルコールを飲んでいる姿を、一度も見た事がなかった。

彼は何度もアルコール更正施設に入って、アルコールを体内から抜くという訓練を行っていたのだそうだ。それに、セレモニーを何度も受けながら、スピリットの助けを借りているからなのだそうだ。

彼女は自分の給料をほとんどすべて、彼の医療費やセレモニー費用に注ぎ込んできた。 そんなことが何年も続いているらしい。

「あなたは本当に彼のことを愛しているのね?」 と私が言うと、彼女はそれを否定した。

「怖いのよ。怖いから離れられないの。あの人は恐ろしい人だから……」

彼女は何度も彼の元を離れようと試みたらしい。 けれども、彼女がどこに行こうとも、彼は必ず彼女を見つけ出し、死ぬほど暴行を加える。 顔の形が変わるほど殴られた後、瀕死の状態の彼女を見て、彼は泣きじゃくりながら彼女に懇願するのだそうだ。 「お願いだから、僕を見捨てないで…」

そんなことが過去に何度かあった。 彼女は体が回復するまで2-3ヶ月入院した。 一度など、彼女に新しい恋人が出来て、駆け落ちのような形で逃げたのだが、彼は2人が一緒にいる所を見つけ出し、彼女の目の前で相手の男性を半殺しにした。

その後、彼はしらふに戻ったときに、罪悪感に苛まれて自分で自分の胸を銃で撃った。 弾は貫通したはずなのに、彼の体は数日で回復したのだそうだ。

そんなことがあったので、彼女は彼から一生逃げられないと悟り、人生をあきらめているのだと言った。

*********

私は今、起こった事を淡々と書き記しているが、実際には穏やかに話していた訳ではない。

彼女は混乱していて、私にすがりついて 「出て行かないで欲しい」 と懇願したり、「彼をその気にさせたのなら、責任を取って彼の面倒を見るべきだ」 とおどしたりした。 怒ったり泣いたり、威嚇したり懇願したり・・・。 そんな彼女の様子を見ていて、私自身も混乱していた。 何が本当なのか分からなかった。

何時間経ったのだろう? 

私の中から理性がなくなりかけてきた。 もうここを離れることは出来ないんじゃないかと弱気になった瞬間、ナバホ父の声が胸に響いた。「必ず戻って来い。君ならできる」

その言葉で、はっと我に返り、私は声を絞り出して彼女に言うことができた。

「これ以上あなたの話を聞いていたくない。 どうかこのまま、私を出て行かせて欲しい」

私は荷物をスーツケースの中に投げ入れて、逃げるように彼らの敷地を去った。

私はなんて馬鹿だったんだ。 冷静になれば見えていたことすら、見えなくなっていた。