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「父の本当の強さ」子供時代
一つ前の話の中で、私達一家にある事件が起きたことを書いた。その事件から、父が私達きょうだいに教えてくれた大切な教えを、ここに記しておきたい。
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私達きょうだいが中学生くらいになるまで、私達一家は父の親友の一家と交流が深かった。
父の親友のおじさん一家には、私達きょうだいと同じくらいの年齢の男の子が3人いた。
毎年夏には合同家族旅行に行き、お正月には合同新年会をした。 これらの行事は毎年恒例のもので、私達はみんなこの行事を楽しみにしていた。
私は、特にその3人兄弟の真ん中の男の子と仲が良くて、文通をしていた。
しかし、ある年を境にして、その恒例の行事はなくなってしまった。 合同家族旅行もお正月の食事会もなくなったのだ。 私の文通相手からも、手紙の返事が来なくなった。
突然のことだったので、訳が分からなかったし、悲しかった。両親に理由を聞いても、両親は何も答えてくれなかった。
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この恒例の行事が突然無くなった理由、そして私達一家が突然貧乏になった理由は、私が成人して随分年月が経ってからようやく、母が教えてくれた。
父の親友のおじさんも、父と同じく会社を経営していた。 おじさんの会社はうまく回らなくなり、多額の借金をすることになった。 父は長年の親友だったので、おじさんが父に借金の保証人になってくれるよう頼んだときに断れなかった。
おじさん達一家は、ある日家族一家で夜逃げをした。 父はおじさん達がそこまで困っていたことを、知らなかった。 突然この一家が夜逃げをしてしまったせいで、借金の返済は保証人である父が支払わなければならなくなった。
借金の肩代わりをしなければならなくなったと金融機関から父に連絡が入った日、父は真っ青な顔をして帰宅した。 私達きょうだいが寝静まった後、父は母に事情を話した。 そして両親は、子供達にはこのことを話さないでおこうと決めたのだそうだ。
その話をずっと後になって聞いたとき、私は父に 「どうして私達に話してくれなかったの?」 と聞いた。
すると父は、「お前達に心配させたくなかった。 子供の時代はあっという間に終わってしまうものなんだよ。 だから子供は何も心配せずにすくすくと育ち、大いに遊び、大いに勉強することが仕事なんだよ。 お金の心配をするのは、親である私達両親の仕事なんだ。 だからお前達には言わなかった」 と言った。
そして、こう付け加えた。
「お父さんは X X さんの会社の下請けさんが集まる会に出席したんだよ。 日本刀を持って X X さんに掴みかかっている人もいた。 みんなすごい剣幕で X X さんに詰め寄っていった。 その場で X X さんが殺されてしまうんじゃないかと思うくらいの修羅場だった。 その日本刀を持ってきた人にも、養うべき社員がいて家族がいたんだろうね。 その場にいた人達は、みんな必死だった。
その修羅場に立ち会ったとき、お父さんは思ったんだよ。 経営者はどんなことがあっても、最後の最後まであきらめてはいけないし、自分には養うべき家族と社員がいるってことを肝に銘じておかなければいけないんだってね。 あの一件から、お父さんは大切な教えを学ばせてもらった」
私は父に、素朴な疑問を問いかけた。
「お父さんとお母さんは、X X さん一家のことを恨んでる? 親友だったんでしょ? とんでもない裏切りだよね。 その後何年もかかって、お父さんとお母さんはその裏切り者の残した借金を肩代わりして払い続けたんでしょ? 私がもしこの先どこかで X X さんを見つけたら、それこそ日本刀で切りつけてやりたいくらい、腹が立つよ」
トサカに血がのぼり、頭のてっぺんから湯気を出しそうな私に、父はおだやかにこう教えてくれた。
「人を恨んではいけないよ。 人を呪わば穴二つって言葉があるだろ。 あの頃のお父さんとお母さんにとって、お前達がすくすくと育ってくれることが一番のご褒美だった。 幸運なことに、お前達は大きな怪我や事故に遭うことなくここまで育ってくれたし、X X さんの肩代わりの借金も数年で支払うことができた。 金は天下の回りものって言葉もある。 すべて、もう終わったことだ。 だから、もういいんだよ」
自分の親ながら、感心してしまったし、また誇らしくも感じた。
この両親を選んできて、本当に良かった。
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実はこの話は、長い間忘れてしまっていたのだが、霊気師匠の言葉によって記憶が鮮明によみがえってきたのだ。
先日、霊気師匠に両親の話をしているとき、師匠がこう言ってくれた。
「ご両親はこの人生でたくさん徳を積んで来られたんだね」
自分のことを褒められるよりも、両親のことを褒めてもらえたことが嬉しかった。その場でスキップをしたかったくらい。
私の両親は二人とも頑固で憎たらしいときもあるけど、いざというときにはどこからか助け船がやってきて救われている。 両親があの大変なときに X X さんを恨まず、前向きに生きてきたこと。 何事につけそういう姿勢できたことで、コツコツと徳を積んできたのだろう。 そういうことを、神様はちゃんと見ていてくれていた。
私の両親を見守ってくれているご先祖様たちと神様たち、いつもありがとうございます。
今後とも、うちの両親のことをよろしくお願いいたします。
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「反抗期」子供時代
中学生の頃、私は反抗期に入っていた。 母のやることなすことすべてが嫌いになった。 母が作ってくれた料理を「まずい」と言って文句を言い、母が一緒に出かけようと誘ってくれても「お母さんと出かけるのは恥ずかしいから嫌だ」と断る。 母の見ていないところでご飯を食べ、ご飯を食べ終わるとさっさと自分の部屋に行って扉をぴしゃりと閉じる。 そんな毎日を過ごしていた。
そんなある日、私は体育の授業のときに足を捻挫した。
先生はすぐに母親に電話を入れ、母は学校まで私を迎えに来てくれた。
当時の私達一家は、お世辞にも裕福だったとは言えない。 父は私が3歳の頃に起業して会社を経営していたのだが、ある事件があって私達一家は節約の日々を送っていたのだ。 その頃の私は、新しい服や靴を思い通りに買ってもらえず、同級生が新しい服や靴を持っていることが羨ましくて仕方がなかった。
「お父さんは社長なのに、どうしてお金持ちじゃないの?」 と私が聞くと、「うちは社長だからこそ、節約しなければいけない。社員とその家族の皆さんの生活を守らなくてはいけないから」 と父が返す。 その少し前にある事件があったことを、両親は私達に教えてくれていなかったので、父のこの説明では納得がいかなかった。
母と一緒に外出するのが恥ずかしかった理由は、私達が貧乏だったことにもある。 母は毎日ほぼ同じようなヘンな服を着ており、おしゃれに着飾ることもなかった。
学校まで私をわざわざ迎えに来てくれた母は、いつものようにヘンな服を着ていた。先生から電話をもらって、大急ぎで走ってきたのだろう。髪もぼさぼさのままだったし、化粧もしていなかった。
せっかく来てくれた母に向かって私はこう言った。「来てくれなくても良かったのに。 先生とか同級生にお母さんのこと見られるのが恥ずかしい」。
母はとても悲しそうな表情をしたが、何も言い返してこなかった。 黙って私の前に座り、私をおぶってくれた。 私は中学生とは言え、体つきは既に母と同じくらいの背丈になっていたので、私をおぶって歩くことはすごく苦痛だっただろうと思う。 でも母は何も言わず、右手に自分のかばん、左手に私の教科書が入った重いかばん、背中には母と同じくらいの体重の私をおぶって黙々と歩いた。
私達の実家から私が通っていた中学校までは、大人の足でも徒歩で30分以上はかかった。
母は車の免許証も持っていないし、もちろん自分の車も持っていない。
「なんで歩くの? タクシーに乗ろうよ」と私がせがんでも、母は何も言わなかった。
今考えてみると、当時の母にタクシーに乗るという贅沢はできなかったのだろう。
それに、今私は当時の母と同じくらいの年齢になったが、あのとき母が私にしてくれたように自分と同じ体重の人をおぶって30分も歩けるだろうか? 絶対に無理だ。 母だからこそできる、最大級の優しさであり、愛情だったのだと思う。
今でも、あのときの母のことを考えると、涙が出る。
あの時私は母に素直にありがとうと言えなかった。本当は大急ぎで迎えに来てくれたこと、家までの長い道のりをおぶってくれたことが嬉しかったのに・・・。
お母さん、いつも最大級の愛情をくれてありがとう。
お母さんの愛情、絶対に忘れないよ。
あの日のことを、私は絶対に忘れない。
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「夫婦のことは夫婦にしか分からない」子供時代
私の両親はとても仲が良い。父は決して寡黙なタイプではないが、母と一緒にいる時だけは寡黙になる。ならざるを得ない、と言うべきかもしれない。
両親の会話はほとんど母のワンマンショーだ。母が9割をしゃべっている。ピーチクパーチク、ピーチクパーチク。所々で父がつっこみを入れる。そのやりとりは非常に面白い。何とも言えない絶妙なタイミングであり、バランスなのだ。
以前、私は母と口ゲンカをしたことがあった。私は母を傷付けるようなことを言い、母を泣かした。一部始終を見ていた父は、私に向かってこう言った。
「お母さんを傷付ける者は許さない。例え娘であってもだ……。」
今度は私が泣き出した。父が味方してくれなかったことが悲しかったからではない。父がそんなにまで母を愛しているのだと分かったこと、それを私の前ではっきりと口に出して言ってくれたことに、感動して泣いたのだ。両親の仲が良いということは、素直に嬉しいものだ。
人は一人では生きてはいけない。「割れ鍋に綴じ蓋」 と言葉があったっけ。うちの両親はまさに字のごとく、二人でしっかりと支えあっている。何だかんだとケンカをしながらも、ぴったりくっついて生きている。
母は晩年、私によくこんな言葉を言っていた。「夫婦のことは夫婦にしか分からない。」傍目には仲良そうに見えたり、あるいは、悪そうに見えたり、と色々な見方がある。けれども、長年一緒に、家族というユニットを形成してきた土台である夫婦には、他人からは決して理解できない絆があるということを言いたかったんだろう。
