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  • 「ラボパーティ」子供時代

    私がまだ4歳の時、母は私と兄の為に「ラボパーティ」というものを見付けてきた。「ラボパーティ」というのは子供の英語教室みたいなもの。英語劇をしたり、英語の歌を習ったりしながら英語に慣れていくのだ。4-5年しか所属しなかったが、まだ幼い頃に英語に触れる機会が持てて良かったと思う。

    ここでの体験は英語だけに留まらない。発表会やクリスマスパーティなどのイベントでは、たくさんの人の前で話す訓練になる。所属している子供の年齢は園児から高校生までと幅広いので、大きいお兄ちゃんお姉ちゃんの友達が出来る。高校生になると、アメリカで一ヶ月ほどホームステイプログラムに参加する。私達チビッコ組は大きいお兄ちゃんお姉ちゃん達の冒険談を、ワクワクして聞き入っていたものだった。

    私達チビッコ組はアメリカホームステイの準備段階として、日本国内でのホームステイプログラムに参加する。私は名古屋までホームステイに行った事があるし、逆に私の家族がホストファミリーとして子供を受け入れたこともあった。ラボパーティでの経験は全て、私という人格を築き上げる為の貴重な材料になった。

    大人になってからも、母とラボパーティの先生は連絡を取り合っていた。

    ラボパーティで先生をしていた方はアメリカ人と再婚して、オレゴン州ポートランドに住んでいた。ひょんなことからその先生に会いに行くことになった。

    先生には娘さんがいた。私より2歳年下で、当時サンフランシスコの大学院生だった。私はロサンゼルスからサンフランシスコまで飛行機で行き、彼女と落ち合った。彼女と再会するのは、実に25年振り。

    私たちはサンフランシスコでレンタカーを借りて、先生の住むポートランドを目指した。

    先生の家で一週間ほど過ごした後、私と友人はまたサンフランシスコに戻った。

    25年振りの再会が、まさかアメリカという土地で果たされるとは思っていなかった。これからもこんな風に意外な出来事が舞い込んでくるのかな。そう考えると、人生って面白いなぁと思う。


  • 「兄」子供時代

    私には一つ年上の兄がいる。

    幼い頃、兄は近所でちょっとした有名人だった。肌は白く、長い上向きまつ毛と丸くて大きな目をしていた。 一見女の子に見えるくらい、かわいい顔をしていたのだ。 「将来はアイドル歌手になるかも」大人達はそんな風に言っていた。

    一方私はというと、どちらかといえばブサイクだった。まつげは下向きで、目は細くて垂れていた。 誕生時のサイズは兄よりも私の方が随分大きく、頭も大きかったので、よく壁や柱に激突していた。 だから、顔に生傷が絶えない子供だった。 

    兄と私はよく二人で散歩に出掛けた。最後には決まって迷子になり、見知らぬ大人達に助けてもらって家に帰ってくるのだった。

    「君はお兄ちゃんなんだから、妹をしっかり守ってあげるんだよ」

    そう言って大人達は私の肩をポンと叩く。私のことをお兄ちゃん、兄のことを妹だと勘違いしていたようである。そういうことが何度かあったので、幼心にも 「私が兄を守らなければいけないのだ」 と思っていた。

    兄が5歳、私が4歳の時、ちょっとした事件が起きた。兄が近所の悪ガキに追いかけられて腕の骨を折ったのだ。私はとても怒っていた。仕返しに行こうと思った。重い野球バットを引きずって玄関の所まで歩いていった。ドアノブに手が届かずもたついている所を母に見付かってしまい、私の「お礼参り」は果たせなかった。幼い私はただひたすらに、兄を守ろうと考えていたのである。


  • 「ユニーク」子供時代

    私はとても変わった子供だった。感受性がとても豊かだったのだ。豊か過ぎたと言っても良い。人の感情がはっきりと色で「視えて」いた。

    悲しんでいる人のそばにいくと自分も悲しくなって泣いた。怒っている人のそばでは一緒に怒った。嬉しそうな人のそばだと自分も嬉しくなる。そんな風に、他人の感情に巻き込まれるのは嫌だった。しかし自分でコントロールする術を知らなかった。

    私の子供時代を表現する言葉は「ユニーク」という一語に尽きる。この言葉は、学校の先生が書く、通信簿の備考欄に必ず登場していた。 「ユニーク」 と表現されることがすごく嫌で、通信簿を受け取るときにはいつも、「今回はユニークって書かれていませんように」 と祈るのだが、その祈りは聞き入れてもらえてなかった。

    感情をコントロール出来ないという以外にも、私の思考回路はみんなとは違っていた。

    5歳くらいまでは、過去生の記憶がまだ鮮明に残っていた。夢として現れることもあったし、起きている時間に意識が異次元に飛ぶこともあった。

    その頃は、誰にでも過去生の記憶が残っているのだと思っていた。だから平気で母や友人に話した。すると皆は決まって私のことを変人扱いした。そしてやっと分かった。誰にでも見えたり感じたりするものではないのだと。

    とりわけ母はそういった霊的な話を嫌った。私が話し始めると、私の言葉をさえぎったものだった。今でも母は、スピリットの話や過去生の話、スピリットワールドの話といったものをひどく嫌っている。

    私が自分の過去生に関係あるだろうと感じていたのは、アメリカインディアンのナバホ族とアパッチ族、それにラコタ族。 誰に教えてもらった訳でも無いのに、記憶に残っていた。

    ナバホの大地に初めて行った時、懐かしさで涙が込み上げてきた。私のスピリットは、この土地とこの人々のことを覚えていた。

    ナバホに通い始めて11年目になる。私が懐かしいと感じているのは、ナバホの人達の宗教観なのかもしれない。 子供の頃、話してはいけないと言われ続けた話を、この地では普通に話すことが出来る。 それによって私のスピリットが癒されているのだと思う。