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  • 霊気の歴史, toppage

    世界平和への貢献第一歩は、自分自身を知るだと私は思っています。私がこのビジネスを立ち上げた理由は、「自分自身を知ること」のお手伝いとして3つの方法を提供したいと考えたからです。霊気の教え、ホロスコープチャートリーディング、エンジェルカードリーディングの3つです。

    今日は、その3つのうちの一番目、霊気について、お話ししたいと思います。

    私が霊気と出会ったのは2008年でした。国際結婚をして、アメリカで暮らすための配偶者ビザを申請した直後のことです。友人の中に、アメリカで数年暮らした経験を持っていた子がいました。彼女は、アメリカの医療費がいかに高額であるかを伝えてくれました。そして、移住前にセルフヒーリングをできる限り多く学んでおくべきだと、熱弁してくれました。

    当時の私は、霊気のことをほとんど知りませんでした。調べ始めると、2つの系統が存在することを知りました。1つは日本を離れなかった純粋な系統、もう1つは一度海外に出て日本人以外の師範を経由して、日本に逆輸入された西洋の系統でした。

    ここで、霊気をご存じない方のために、霊気の略歴を簡単にご説明しますね。霊気は日本人の臼井甕男さんという方が創始者です。いろいろな職業に就きながらも、私生活では禅を学び、悟りの境地を得ようと努力されていた方です。57歳の時、京都府の鞍馬山で瞑想・断食を決行されました。3週間目に、宇宙からの通過儀礼のような不思議な体験をし、癒しのエネルギーを受け取りました。この能力を広く世の中の人たちに伝えたいという思いから、臼井霊気療法という手当て療法を教え始めました。臼井先生はその4年後に他界されましたが、最後の4年間は霊気療法を教え伝えることに専念されたそうです。霊気療法は家庭で用いられる民間療法として、広く知られるようになっていきました。しかし、第二次世界大戦後、新しく設立された政府によって、日本の民間療法は禁止され、激しい弾圧を受けました。表立って霊気を使うことができなくなり、次第に霊気の勢いは小さくなっていきました。

    その頃、霊気第3世代の師範の中に、高田ハワヨさんという方がいらっしゃいました。ハワヨさんはハワイ州のカウアイ島で、霊気クリニックを開業し、地元の方たちに霊気を伝えました。彼女の生徒さんたちのほとんどは白人の方たちで、そこから霊気が世界中に広まっていきました。ハワヨさん経由で伝えられた霊気は、西洋レイキと呼ばれるようになりました。そして、日本にも逆輸入という形で戻ってきました。現在では、世界中の霊気人口の90%以上、もしくは99%以上が、西洋レイキだと言われています。

    私が霊気の先生を探し始めた時、日本国内でさえも、西洋レイキの系統が大半を占めていることが分かりました。日本直系の霊気を教えている先生はなかなか見つけられなかったのですが、ようやく、友人の一人が紹介してくれたのが、日本直系の霊気の先生でした。その先生が稲本百天さんでした。浄土宗の在家僧で、京都の鞍馬山の近くに住んでおられます。百天先生と初めてお会いした時、懐かしさを感じました。過去世でも何度も一緒にお仕事をさせていただいていた間柄だと、感じました。百天先生は、光明霊氣道を設立されました。

    光明霊氣道は日本を離れていない稀有な系統です。臼井先生から林忠次郎先生、山口千代子先生、百天先生に伝えられ、私は5代目の師範にならせていただきました。

    私たちの系統では、霊性の向上と気付きに焦点を当てています。霊性を向上させ、気付きが増えてくるごとに、私たちはもっと謙虚になり、物質的な思考や物事から切り離せるようになっていきます。そうすることで、私たちは、霊気エネルギーを純粋に伝える媒体になることができます。百天先生は霊気を日本のあらゆる芸事と同じく「道」であると教えてくださいました。「道」とは生き方そのものを表し、生涯を通して謙虚に学び続けることだと、教えてくださいました。私は百天先生の教えや生き方を、心から尊敬しています。

    霊気の教えは奥が深いです。霊気を学ぶこと、そして霊気エネルギーの媒体になることは、私たちが本当の自分を見つけるきっかけを与えてくれます。いちどその道に入れば、果てしなく長い修行の道が続く旅への出発です。本当の自分を知ることと、霊的な気付きを高めていくことは、密接にかかわりあっています。学びは今生の最後の瞬間まで続き、さらには、肉体を抜けて魂の故郷に戻った後も、そしてまたどこかの惑星か星に転生するときでさえも、未来永劫ずっと続いていくのだと思います。さぁ、あなたはその長い旅に出かける心構えができましたか?


  • 「出産」, parenting  

    午前4時過ぎ、私の担当の産科医がやってきて、私の子宮口の開き度合いを内診した。6センチまで開いていた。子宮口の開いてくるスピードは人によって様々なのだけれど、一般的に目安とされているのは1時間で1センチ程度なのだそうだ。私の場合は、その一般目安よりは少し遅かったのだが、一応進んでいるので、このまま正午まで様子を見ることになった。

    午前6時過ぎには夫用の朝食が届いた。患者である私は、出産するまで何も食べてはいけないことになっている。

    正午までは相変わらず一時間おきに看護婦さんがやってきて、私の血圧と子宮口の開きをチェックした。正午の時点で、7センチ開いていた。正午に担当の産科医がやってきて、「陣痛促進剤を打ちましょうね」と言った。私はできる限り自然で出産したかったので、何とかもう少し待って欲しいとお願いした。産科医も病院側も、出来る限り私の意志を尊重したいという結論に至ってくれたので、このまま様子を見ることになった。

    夫用の昼食が届き、またもや私は夫が食べている姿を見るだけで、何も食べさせてもらえなかった。昨夜10時に破水したときにほんの少しシリアルを口に入れたが、ちゃんとした食事は午後6時過ぎに食べた夕食以来何も食べてない。お腹空いた・・・。何か食べれたら、もうちょっと元気になれるんだけどな・・・。


  • 「破水」, parenting

    日中は、スーパーマーケットで買出し。食材を大量に買い込み、冷蔵庫と冷凍庫と戸棚はほぼ満杯状態になった。

    もうそろそろ出てきそうな気がする。夕食のときに夫も「今晩か明日、破水か5分間隔の陣痛があるような気がする」と言っていた。

    そして・・・。

    夜10時過ぎ、お風呂から出てベッドに横になった途端、お腹の左横から、「パンッ」と何かがはじけるような音がした。

    ん?? もしかしてこれが破水ってやつかな?

    トイレに行って確認したが、まだ水は出てきていない。

    「破水じゃないなら、さっきの音はなんだったんだろう?」と思いながらトイレからリビングまで歩いたときに、ぬるいお湯のような液体が洩れていることに気付いた。おしっこではないことは確実に分かっていた。思っているよりも量が多い。やっぱりこれが破水なんだ。

    リビングから大声で夫を呼んだ。

    夫は完全に眠っていたようで、何度か呼んだ後でようやく起きてリビングに出てきた。

    夫はまだ半分眠っている状態だったのだが、トイレからリビングまでの私が通った跡が水浸しになっているのを見て、ようやく完全に目を覚ました。

    夫は大急ぎでバスタオルを2枚持ってきてくれた。一枚は私に手渡してくれて、もう一枚で床を拭いてくれた。

    それから、「病院に電話する前に、何か食べておくか?」と私に聞いてくれた。私の担当の産科医は、病院に入ってしまったら、出産が終わるまで一切何も食べさせないと言っていたからだ。

    何かを食べようとするのだが、「いよいよ出産なんだ」と思うと、体が震えてしまって食べ物がうまく咽を通らない。結局、シリアルをほんの少しだけ口に入れただけだった。

    それから、病院に持って行くつもりで予め用意しておいたキャリーバックを車に積んで、夫と一緒に車で病院に向かった。

    病院に着いたのは夜の11時前。

    受付で「破水しました」と報告すると、産科病棟から2人の看護婦さんが車椅子を押して受付まで迎えに来てくれた。車椅子にはビニールシートが掛けてあって、ほっとした。この時点で、両足に挟んでいたバスタオルはビショビショになってしまっていたからだ。

    産科病棟に入ると、日中はノンストレステストのために使っている大部屋に通された。内診をすると、子宮口は4センチ開いていた。

    私の羊水の色は薄いピンク色だった。看護婦さんいわく、羊水の色は、薄いピンク、薄い黄色であることが多く、たまに、完全に透明の人もいるのだそうだ。羊水はぬるま湯のようなほんのり暖かい温度で、甘くて優しい匂いがした。

    看護婦さんが私の羊水のサンプルを摘出し、何やら検査をした後、私と夫は個室病室に案内された。この病室ですべての作業が行なわれる。陣痛を経て子宮口が10センチになるまで待機し、出産し、出産後の養生をする。

    このとき、陣痛はまだ10分間隔で、痛みはまだまだ耐えられる程度のものだった。

    一時間おきに看護婦さんが病室に来て、私の血圧を測り、陣痛の痛みレベルが10段階のうちどのレベルかを聞いた。このときの痛さレベルは、6か7程度。

    夫は同じ病室内に備えてあるソファーベッドで仮眠を取った。陣痛の痛みが段々と大きくなるに連れて、不安も押し寄せてくるのだが、夫がそばに居てくれるのだからと思うとほっとした。夫は時々目を覚ましては、私のベッドのところまで来て、私の額にキスしたり、頭を優しくなでてくれたりした。