「兄」子供時代

私には一つ年上の兄がいる。

幼い頃、兄は近所でちょっとした有名人だった。肌は白く、長い上向きまつ毛と丸くて大きな目をしていた。 一見女の子に見えるくらい、かわいい顔をしていたのだ。 「将来はアイドル歌手になるかも」大人達はそんな風に言っていた。

一方私はというと、どちらかといえばブサイクだった。まつげは下向きで、目は細くて垂れていた。 誕生時のサイズは兄よりも私の方が随分大きく、頭も大きかったので、よく壁や柱に激突していた。 だから、顔に生傷が絶えない子供だった。 

兄と私はよく二人で散歩に出掛けた。最後には決まって迷子になり、見知らぬ大人達に助けてもらって家に帰ってくるのだった。

「君はお兄ちゃんなんだから、妹をしっかり守ってあげるんだよ」

そう言って大人達は私の肩をポンと叩く。私のことをお兄ちゃん、兄のことを妹だと勘違いしていたようである。そういうことが何度かあったので、幼心にも 「私が兄を守らなければいけないのだ」 と思っていた。

兄が5歳、私が4歳の時、ちょっとした事件が起きた。兄が近所の悪ガキに追いかけられて腕の骨を折ったのだ。私はとても怒っていた。仕返しに行こうと思った。重い野球バットを引きずって玄関の所まで歩いていった。ドアノブに手が届かずもたついている所を母に見付かってしまい、私の「お礼参り」は果たせなかった。幼い私はただひたすらに、兄を守ろうと考えていたのである。

「ユニーク」子供時代

私はとても変わった子供だった。感受性がとても豊かだったのだ。豊か過ぎたと言っても良い。人の感情がはっきりと色で「視えて」いた。

悲しんでいる人のそばにいくと自分も悲しくなって泣いた。怒っている人のそばでは一緒に怒った。嬉しそうな人のそばだと自分も嬉しくなる。そんな風に、他人の感情に巻き込まれるのは嫌だった。しかし自分でコントロールする術を知らなかった。

私の子供時代を表現する言葉は「ユニーク」という一語に尽きる。この言葉は、学校の先生が書く、通信簿の備考欄に必ず登場していた。 「ユニーク」 と表現されることがすごく嫌で、通信簿を受け取るときにはいつも、「今回はユニークって書かれていませんように」 と祈るのだが、その祈りは聞き入れてもらえてなかった。

感情をコントロール出来ないという以外にも、私の思考回路はみんなとは違っていた。

5歳くらいまでは、過去生の記憶がまだ鮮明に残っていた。夢として現れることもあったし、起きている時間に意識が異次元に飛ぶこともあった。

その頃は、誰にでも過去生の記憶が残っているのだと思っていた。だから平気で母や友人に話した。すると皆は決まって私のことを変人扱いした。そしてやっと分かった。誰にでも見えたり感じたりするものではないのだと。

とりわけ母はそういった霊的な話を嫌った。私が話し始めると、私の言葉をさえぎったものだった。今でも母は、スピリットの話や過去生の話、スピリットワールドの話といったものをひどく嫌っている。

私が自分の過去生に関係あるだろうと感じていたのは、アメリカインディアンのナバホ族とアパッチ族、それにラコタ族。 誰に教えてもらった訳でも無いのに、記憶に残っていた。

ナバホの大地に初めて行った時、懐かしさで涙が込み上げてきた。私のスピリットは、この土地とこの人々のことを覚えていた。

ナバホに通い始めて11年目になる。私が懐かしいと感じているのは、ナバホの人達の宗教観なのかもしれない。 子供の頃、話してはいけないと言われ続けた話を、この地では普通に話すことが出来る。 それによって私のスピリットが癒されているのだと思う。