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10.乗馬 ラコタツアー
女性客が落馬してからは、みんな何となく馬を怖がるようになっていた。他の高齢の人達は、ラコタの人に手綱を引いてもらいながらトラックの中を軽く2-3周しただけで、「もう十分満足した」 と言って乗馬を終えた。
私はさっきよりは少し成長していて、ちゃんと仕事をまっとうしていた。お客さんが満遍なく馬に乗れているかどうかに、気を配る事に徹していたのだ。全員が満遍なく馬に乗る機会が与えられている事に、私はほっとしていた。
今度は新しいメンバーの一行が、トラックを出て少し遠出をすることになった。時間的なことを考慮すると、このグループが帰ってきたら今日の乗馬は終わりだろう。私はその時まだ、馬に乗るチャンスが無かった。きっと今回は、このまま乗れないだろう。それでも仕方が無い。今回の主役は、あくまでもお客さん達なのだから…。
少し残念ではあったが、私は自分の立場をちゃんとわきまえていた。それで良いと思った。
第二弾の一行がトラックの外に出たので、私も後ろから小走りでついていった。馬の後ろに立つのは厳禁だと言われていたので、少し距離を空けて、みんなの様子が見渡せるような距離にいた。
その一行の中に、ラコタの女の子がいた。彼女は私に気付いて、声を掛けてくれた。
「歩いてついて来られるような距離じゃないよ。馬を用意してあげるから、馬でついて来なよ」
「私のことは良いよ。馬に乗る機会はまたあるだろうしね。心配してくれてありがとうね」 と私は返答した。
それでも彼女は、こう言ってくれた。
「通訳だって、楽しむ権利はあるよ。私の馬を貸してあげるから、一緒に行こうよ。良い馬だよ」
私達は、納屋まで戻った。納屋にはもう鞍が残っていない事を、私は知っていた。しかし彼女は、あちこちから鞍やら綱やらをかき集めてくれて、準備をしてくれた。その鞍と綱はボロボロのもので、私は少し不安になったが、この子が一緒にいてくれるから大丈夫だとも感じていた。
彼女の馬はイギという名前。茶毛の牡馬で、人間の年齢に換算すると、40歳くらい。「この子は本当に良い馬だよ。あなたのことをちゃんと守ってくれるから、安心して」 と彼女が言った。
確かにイギは、私の言う事を忠実に聞いてくれた。きっと相性も良かったのだと思う。段々慣れてくると、ギャロップが楽しくなる。イギは私の調子を伺いつつ、軽快にギャロップしている。
ラコタ兄が私にこう言った。「うまいね。君が馬に乗っている姿は、本当に自然体そのものだ。何度も乗った事があるのか?」 そう言うラコタ兄の方こそ、自然体そのものだよ。さすがラコタだ。
私に関しては、私はきっと前世で馬に乗っていたのだと思う。だから初めての乗馬のときから、周囲の人に 「うまいね」 と言われていた。
私の乗馬初体験は、アリゾナ州セドナでの乗馬ツアーの時。もう、8年以上も前のことだ。その時私が乗った馬は、プリティボーイという名前の若い牡馬。名前の通り、とてもきれいな馬だった。プリティボーイは、私のことをしっかり守ってくれた。ギャロップする前や、ちょっと段差がある時には、必ず一旦立ち止まり、後ろを振り返って私の様子を伺うのだ。 「私は大丈夫だよ。さぁ、行こう」 と声を掛けると、プリティボーイは安心して前に進む、という具合だった。
今回のイギも、終始そんな具合だった。
私達の一行は、ラコタ兄、ラコタ兄の従兄弟、ボス、若い男の子、若い女の子、私、ラコタの女の子、ラコタの少年の8人だった。このメンバーはみんな、楽々と馬を乗りこなしていた。その事に安心したラコタ兄の従兄弟は、どんどん先へと進んでいった。
途中、小高い丘で、ワシが2羽見えた。ネイティブアメリカンはワシが大好き。ラコタメンバーは全員ワシの存在に気付き、喜んでいた。
日没が近付くにつれて、馬達に異変が起きた。何やらみんな、急に急ぎ足になった。ラコタ兄の従兄弟が、「馬達はもうすぐ食事の時間だということが分かってるんだ。だから急いで家に帰ろうとしているのさ」 と言った。最初は軽いギャロップだったのが、段々悲壮な感じの走りになってきた。みんな、よっぽど空腹らしい。
こんなこともあった。ボスが乗っていた白馬が、私の目の前で T の馬を後ろ足で蹴った。ものすごい勢いだったので、ビックリした。しかも、一度だけではなく、 何度も。ラコタ兄の従兄弟が、「彼には近寄るな」 と声を掛けると、みんな一斉にボスの馬から離れた。
ラコタの女の子が、ひそひそ声で私にこう言った。「大丈夫だよ。あの白馬が蹴るのは、あの男の子が乗ってる馬だけだから。あいつら犬猿の仲なんだよね。イギの事を蹴ったりはしないから、安心してよ」 それを聞いて、ほっとした。
馬の世界にも、いろいろあるようだ。
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9.落馬事故 ラコタツアー
2006年5月20日。この日は乗馬をすることになっていた。
牧場を持っているラコタ兄の従兄弟の家まで、車で一時間ほど。とても、ワクワクしていた。私は馬が大好きなのだ。
馬に乗る順番は、何となく早いもの勝ちのような雰囲気が漂っていた。一頭づつ馬に鞍を装着して、「この馬は誰が乗る?」 と聞いていくという感じだった。
体の大きな茶毛の馬が鞍を付けている間、私はその馬に見とれていた。きれいな馬だったのだ。
ボスが 「この馬は誰が乗る?」 と聞いたとき、私は勇ましく 「私!!」 と名乗りを上げた。しかし、ボスにあっさりと却下された。「君の順番はもう少し後。僕と君の両方が馬に乗ってしまったら、通訳をする人が残らなくなってしまうだろ?」
しょんぼりと肩を落とす。”そっか。私はスタッフだから、こんな時はお客さんを優先させてあげなきゃいけないんだ…” そうは言っても、ボスは誰よりも先に馬に乗っていたけど…。
結局その馬には、別の女性客が乗る事になった。メンバーの内の半数ほどが馬に乗って、トラックの外に出て行った。
ラコタ兄と私は、馬の群れの後を歩いてついていき、お客さん達を見守る事にした。トラックを出てから、馬の一行は小川の方向に向かって進んでいた。どの馬もゆったりと歩いていて、危険は無さそうだった。
馬の一行は小川を越えて、小さな丘を登ろうとしていた。その時、ある事件が起きた。
1人の女性が、馬から落ちた。私が乗ろうとしていた馬に乗った女性のお客さん。その瞬間の映像は、今も私の脳裏に焼きついている。
上り坂に差し掛かって、馬の足取りが急にギャロップになった。その瞬間、女性の体が馬から離れ、背中側から宙に浮いて、地面に落ちた。一瞬の出来事だったのに、スローモーションのように見えた。
次の瞬間、ラコタ兄と私は彼女の元に走り出した。小川の水量は膝くらいまであったのだが、靴を脱ぐこととか、ズボンをたくし上げようなどという考えは、微塵も起こらなかった。とにかく、全速力で彼女の元に走っていった。
ボスとラコタ兄の奥さんが馬に乗った状態で、お客さんに話しかけていた。
ーー大丈夫ですか?ーー
ーー頭を打ちましたか?--
ーーどこか痛い所はありますか?--
落馬した女性が、か細い声で何とか返答している。
ーー頭は打っていない。背中とお尻から落ちたので、そこが痛いーー
こんな時、どうすれば良いんだっけ? 確か、学生時代の保健の授業で、応急処置の方法を習ったはず。えっと、確か…、後続事故の危険がある場合を除いて、患者を動かしてはいけないって習ったっけ…。
そんなことを考えていると、ラコタ兄がこう言った。
「上半身を起こさせるんだ」
エッ? 動かしちゃいけないんじゃないの? でもこの人の職業はカウボーイ。自分も落馬経験があるだろうし、落馬した人の対処法も知っているはずだ。この人が助けてくれる。
「体を起こして、座れますか?」 と私が聞くと、お客さんは 「体が痛すぎてムリ」 だと言う。それでもラコタ兄は、「無理にでも体を起こさせるんだ」 と言い張る。
若い男の子と私の2人で お客さんの体を支えて、体を起こさせた。するとラコタ兄が、「よし、座れるな。今度は立たせてみろ」 と言う。体を動かす度に、お客さんの表情が苦痛でゆがむ。何とか自分の足で立ってもらった後、ラコタ兄は お客さんに片足ずつ動かしてみるようにと言い、それから全身を順番に動かさせた。ラコタ兄が 「どうやら、骨は折れていないようだな」 と言った。
その間に、ラコタ兄の奥さんが急いで車の所へ戻り、ピックアップトラックを運転してその場に戻ってきた。
ラコタ兄が楽々と 落馬した女性の体を担ぎ上げ、ピックアップトラックの助手席に乗せた。お客さんは、ラコタ兄の従兄弟の家に担ぎ込まれた。
ラコタ兄の従兄弟もその奥さんも、のんびりと構えている。「落馬したの? あぁ、そうなの? じゃ、しばらく休んでいけば?」 という感じ。この人たちからすれば、落馬など日常茶飯事なのだろう。
落馬した女性はしばらく家の中で休む事になった。
後でラコタ兄に聞いたのだが、落馬した場合は、頭を打った場合や骨が折れている場合を除いて、すぐに体を動かさなければならないのだそうだ。そうしなければ、筋肉が硬直してしまって、本当に動けなくなってしまうらしい。
それに、ラコタ兄はこんなことも言っていた。
「乗馬には落馬はつきものだ。落馬しても、馬を怖がらずにまた挑戦する。そうすると、次回は 「カウガール」 並みにうまく乗りこなせるのだ…」 と。
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8.拡大家族 ラコタツアー
ラコタの親族関係を言い表す言葉で、tiospaye という語がある。これは 「拡大家族」 という意味だ。
ラコタの親族関係は、一般社会のものと少し異なる。
ちょっとややこしいのだが、説明しておきたい。
ここに、一般的な家族、(父親、母親、子供)がいるとしよう。
日本なら、子供からすれば、父親、母親は一人ずつだ。
しかしラコタでは、父親の兄弟も 「父」で、その子供は 「兄弟姉妹」になる。父親の姉妹は、「叔母」 で、その子供は「従兄弟」になる。
同様に、母親の姉妹も 「母」で、その子供は「兄弟姉妹」となる。母親の兄弟は、「叔父」 で、その子供は「従兄弟」となる。
つまり、「お父さん」「お母さん」と呼べる人が一人きりではなく、「兄弟」「姉妹」と呼べる人も一人きりではないのだ。
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私はこのことを知らなかったので、ラコタ兄にやたらと 「兄弟」「姉妹」 が多いことに驚いていた。後で聞くと、こういうことだったのだ。
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この拡大家族制度は、ラコタ国で今も生きている。このことによって、子供たちはより多くのサポートや愛情を受ける事ができる。
保留地を訪れたことがある人なら誰でも経験していると思うが、保留地の子供たちはとても人懐っこい。それはこの拡大家族という環境で育ったお陰なのだ。この拡大家族の恩恵を受けている子供たちは、大人になってから社会の中やコミュニティの中でも柔軟に対処していく術を身に付けている。
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ちなみに、ラコタ語で 「兄」 は ティーブロ(tibloーー女性から兄を呼ぶ言葉) と言う。私がラコタ兄のことを “ティーブロ” と呼ぶと、ラコタ兄はとても嬉しそうだった。
ここにまた、ラコタの文化背景がある。
ラコタの人々にとっての価値観もまた、一般社会のものとは異なる。
伝統的なラコタにとっての “富” とか “裕福さ” というのは、物質や財産、家畜の数などではなく、「何人、親族と呼べる人がいるか?」 ということによって決まる。 物質、財産、家畜といったものは見せ掛けの富や裕福さであり、精神性の向上や精神的な幸せにはつながらない。真の富とか裕福さ、幸福は、「どれだけ寛大になれるか?」 ということで決まると考えられている。
ラコタにはギブアウェイという考え方がある。“ある人が無い人に出してあげよう”、という考え方だ。ここにも、ラコタの伝統的な考え方が盛り込まれている。ギブアウェイは、その人がいかに寛大であるかを示すものなのだ。
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現代の日本では核家族が主流になっているが、私達日本人の祖先もかつては大家族で生活してきた。
保留地にはこの古き良き時代の名残が、今もしっかり残っている。
私達が保留地を訪れて懐かしさを感じるのは、私達のDNAが同じ価値観を覚えているからなのだろう。
