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  • 「撮影の準備」  ナバホ体験記

    テレビ取材の日程と詳細が決定した。 取材の一週間前から、私達家族は準備に取り掛かった。

    <準備の内容>

    1) ホーガンの補修工事。 ホーガンというのはナバホの伝統的な住居のことで、土と丸太で作られた円球状(8面体か6面体)のもの。 手作業によるものなので、中に入ると何箇所も穴があることが分かる。 大地に水を蒔き、それをこねて粘土状にする。 それを持って穴を埋めていく。

    2) ホーガン内の掃除。ナバホ家族はこのホーガンをセレモニーの時にしか使用しないので、今はハトの一家 (父ハト、母ハト、子バト) が住んでいる。 ハト達(特に父ハト)は私達人間が中に入ると、攻撃してくる。 家族を守ろうと必死で飛んでくるので非常に恐ろしい。 その激しい攻撃を避けながら、ハトのフンや羽を取り去る。 地面を熊手(クマデ)で掻き均した後、石灰を挽いて地面を程よく固めていく。

    3) かまどの準備。撮影時には屋外のかまどで食事を作るシーンを撮影したいとの要望があったので、山から大き目の岩をもらってきて、「コの字」 型に並べていく。 中央に薪をくべて、準備完了。

    4) スウェットロッジの補修と掃除。 ホーガンの補修とほぼ同じ作業を繰り返す。 スウェットロッジの中にはブラックウィドウ(毒グモ)がいる可能性があるので、炭を入れて毒グモを燻し出す。

    5)スウェットで使う薪の準備。 ガナド方面まで車を走らせ、木を切り手頃なサイズに切り分けていく。 スウェットでは大量の薪が必要なので、この作業は3往復、繰り返し行なった。

    6) 敷地内全般の掃除。 これが一番大変だった。 なぜなら、父は敷地内にいろんな建物を建築しているので、不要になった木材やプラスチック板、釘や道具などがあちこちに散乱していたからだ。 食べ物の袋や空き缶も至る所に散乱していた。 これらを一つひとつ、手作業で拾い集めていった。 朝から晩まで丸1日働いたのに、4日も掛かってしまった。

    そしてついに、取材の前日を迎えた。 家族内で最終打ち合わせをした。

    食事の役割分担。 誰が何を作るのか、どんな食材が必要かを詳細に決めて、買い物に出掛けた。

    これで準備は整った。後は本番を迎えるのみ。


  • 「テレビ取材」  ナバホ体験記

    今回のナバホ訪問は7年目、ナバホ訪問回数は10回になった。 「ナバホ研究をしています」 と人には言っているけれど、自慢できるような実績は何一つ無い。

    ナバホ父のオフィスでそんな風な愚痴をこぼしていた。 これからどうやっていけばいいのか、迷っていた。 この7年で、私は失敗ばかりしてきた。 全く前に進んでいないような気がする。 「失敗」という言葉が自分の口からこぼれた瞬間、涙が溢れ出てきた。 涙はどんどん溢れてきて、息も出来ないほど泣きじゃくるような状態になってしまった。

    父はしっかりと私を抱きしめてくれた。「君は何を失敗と呼んでいるんだ?」 と聞くので、「何も実績が無いこと」だと答えると、「じゃあ、実績を作ろうじゃないか?」 と父。

    父は思いがけない言葉を言った。

    「今回、日本のテレビ局の取材依頼が入った。 君も参加して実績を作れば良い。 君は俺の娘だ。 俺が7年掛けて、ナバホの伝統を教え込んできた自慢の娘なんだ。 自信を持て。 俺が君を招待する」

    まだ不安は残っていた。 本当に私なんかが参加させてもらえるのだろうか? テレビ局の人が反対するのでは??

    テレビ局の人達が第一回目の打ち合わせにやってきた時、そんな不安が一気に飛んだ。とても親切な人達で、是非協力して欲しいと言って下さった。 私を正式にガイドとして雇うとも、言って下さった。

    今回の番組のテーマは「水の大切さを伝えること」。 それを聞いた瞬間、ナバホの大地がとても喜んでいるのを感じた。 ナバホ父が現在プライベートで取り組んでいるテーマも「水」。 「Water Rights (ウォーター・ライツ」 と呼ばれるこの運動は、ナバホの大地の水を守っていこう、ナバホが水を所有できる権利を守っていこう、というものだ。

    ナバホ父の願いは、ナバホの伝統を守り、それを後世に伝えていくこと。 ナバホの伝統(神話)の中には、大地と共に生きる術や知恵が盛り込まれている。知恵というものはまず知ることから始める。

    そして私の願いは、そういった教えを広く日本人に伝え、共有すること。 今回のテレビ取材は、そういう私達の願いにしっかりと合致していた。 それに私がタッグを組むのはナバホ父である。これ以上の環境は無い。 ナバホ父の言う通り、自信を持って精一杯お手伝いをさせてもらおうと思った。


  • 「裏切り」  ナバホ体験記

    私がナバホ国で嫌な思いをするのは、大抵私がナバホ両親とケンカして家を飛び出しているときなのだ。 この一件が起きた頃も、私はナバホ両親の家ではなく、別の友人宅で生活していた。

    今となってはケンカの理由を思い出せないのだが、その当時も私はナバホ両親とケンカをして、家を飛び出していた。ケンカの原因は非常にささいなことだったように思う。

    **************

    当時私はビザなし滞在だったので、3ヶ月しかアメリカに居られなかった。

    そこで、私が日本に帰国している間、その頃仲良くしていたナバホの友人宅に車を置かせてもらうことにした。 またすぐに戻ってくる予定だったし、友人のことを信用していた。

    しかしそれからの一年間は、ナバホ国へ戻れなかった。 新しく勤めた会社で、長期休暇の許可が下りなかったのだ。

    日本に居る間、ナバホの別の友人や家族から嫌な噂を聞いた。 私の車をあちこちで見たというのである。 彼を信用していたので、車のキーを預けたままだった。

    「車を移動することもあるかもしれないから、キーを置いていってくれ。でも俺は君の車を乗り回すようなことはしない」 彼はそう約束したし、私もそれを信じていた。

    事実を知りたかった。 しかし当の本人とは連絡が取れない。 友人の家には電話は引かれておらず、唯一の連絡方法だった彼の携帯電話も不通になっている。  もしみんなの言う通り、友人が私の車を乗り回しているとしたら…。 そう考えるとぞっとした。 アメリカを離れているとは言え、車の所有者は私なのだ。 もし事故でも起こされたら、責任が全部私に降りかかる。

    友人は私の車を乗り回しているのだろうか? 何か事情があるのかもしれない。 裏切られたと思いたくなかった。 最後まで信じていたかった。 とにかく真実が知りたい…。 一年間、ずっと気になっていた。

    ようやく一年後にナバホ国に戻ることが出来た時、初日に友人の家に行ってみた。

    私の車は、どこにも無かった。 彼の父親に車のことを聞いても、「知らない」としか言ってくれない。

    はがゆかった。どうすればいいんだろう。

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    困り果ててナバホ両親に相談すると、まずはこっぴどく叱られた。

    「間違いなく、君の車を乗り回していたんだろう。 もしかしたらもう車は退廃しているかもしれないし、誰かに売り払っているかもしれない。 車を残したかったのなら、どうして俺達の家に置いておかなかったんだ? ここは君の家なんだ。俺達は君の親なんだぞ」

    そう、私の選択は間違っていた。当時、私はいろんな友人の所を転々としていて、無用心に出会う人すべてを信用していた。 私が本当に信用出来るのは、この家族なのに…。 私は素直では無かった。 家族に甘えたくない、自力で何とか、いろんな友人を作っていろんな経験がしたい…。 いつもいつも両親に頼るのは嫌だ。 そんな風に片意地を張っていたのだった。

    その時ナバホ両親に言われたのは、こんなことだった。

    「君は簡単に人を信用してしまう所がある。 それはとても危険なことだから、直さなければいけない。 今まで以上にもっともっと注意を払いなさい。 保留地には貧しい人が大勢いる。 日本とは全く違う世界だ。 日本では簡単に人を裏切ったりしないのかもしれない。 だから君は簡単に人を信用するんだろう」

    がっくりと肩を落としている私のことを、ナバホ両親はしっかりと抱きしめてくれた。

    「確かに君は間違った選択をした。 でも大丈夫。 これで終わりじゃない。 俺達はみんな、学びのプロセスにいるんだ。間違ったら、そこから学べば良い。 同じ間違いをしない為にどうすればいいのか、考えればいい。 そうやって俺達は、少しずつ利口になっていくんだ」

    そうして、ナバホ両親は私を州の警察署まで連れて行ってくれた。

    「州の警察署に俺の親しい友人がいるんだ。 まずは彼に相談してみよう」 と。

    警察で事情を話し、調書を取ってもらった。 パスポートを見せて、私が一年間日本に居たことを証明した。 前回帰国する前にDMVに提出した書類(帰国するので、車は友人のところに一時的に保管させてもらうが、その間は誰もこの車を運転しませんという誓約書)、それに友人が日本の私に送ってきたエアメール (君の車は誰にも運転させないし、自分も乗り回したりしない、と書かれてあった)を提出した。 これらの手続きによって、私がアメリカ国外にいる間に私以外の運転手が事故を起こしていたとしても、私は責任を負わなくて済むようにしてくれた。

    その後、一人の警察官が私と一緒にその友人の家まで同行してくれて、友人の父親に事情聴取をしてくれた。(友人はこの日、不在だった) 警察が現れたのでやっと、友人の父親は私達に真実を話した。

    友人は仕事でアルバカーキに引っ越すことになり、私の車のキーを彼の父親に預けた。 父親は、親戚が車を貸して欲しいと何度も頼みに来て断ることが出来ず、何度か貸したことがあった。 その後、どうしてもお金が必要になったので、ある人に車を売ったのだそうだ。 そう言って、友人の父親は、私に700ドルを手渡した。

    最後まで、友人の父親は謝罪をしなかった。 私が一番欲しかったのは、お金ではなく謝罪の言葉だったのに・・・。

    それがとても残念だった。

    この事件が終わって、何年か過ぎた。 私の中に、もう怒りは残っていない。

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    ナバホ両親にはとても感謝している。 私のことを真剣に叱ってくれた事、警察に一緒に行って説明してくれた事。 私を今でも娘だと言ってくれること。

    ナバホ両親が居なかったら、警察もわざわざこんな小さな事件に関与してくれるようなことは無かっただろう。 私はナバホ両親の元を離れるべきではないんだ。 このことを実際に私が知るまで、何年もの月日と失敗を重ねてしまった。 つくづく私は馬鹿だったと思う。