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「ナバホ流の祈り方」ナバホ体験記
ナバホ国でヒーリング・セレモニーやスウェット・ロッジ・セレモニーを体験する中で、学んだナバホ流の祈り方がある。ここで紹介しておきたい。
ナバホの人々は、あらゆるものとの調和こそが美であり、平和であると信じている。そして、自分の周囲の人達・環境は、すべて自分につながっていると信じている。
祈りはまず、自分を支えてくれているスピリット達に対して、感謝の気持ちを述べる所から入る。この世に生を受けている人は誰でも、多くのスピリット達に支えられて生きている。一人ぼっちで生きているように思えたとしても、助けている人(スピリット)は必ず存在する。自分が生かされていること、支えられて生きていることに気付き、感謝する。そうすると、その守りや導きの力は、一層パワフルになる。
それから、自分の親しい家族や恋人、友人、親戚などで何かに苦しんでいる人がいれば、その人のために祈る。その人が苦しみから解き放たれ、心身ともに調和を取り戻せるように祈る。全てのものは一つなのだから、その人が調和を取り戻せば、その幸せが自分にも返ってくるという考え方だ。
そしてやっと、自分自身のことを祈る。ネイティブ・アメリカンなら大抵の部族がそうなのだと思うが、祈りはすべて現在形で話す。その方が効果的だからだ。祈りの時には hope や wish は使わない。
私はナバホ国に通うようになるまでは、祈りの中で 「…できますように」 とか 「…になれますように」 という言葉を使っていた。あるヒーリングセレモニーに参加したときに、メディスンマンにこんなことを言われた。「君はその祈りを第三者的に漠然と考えているのか? 本気でそれを実現させようと思うのなら、祈りは必ず現在形で口に出しなさい」
確かにそうだと思った。この人生の主役は、自分なのだ。自分が 「こうありたい」 とか 「こうしたい」 と考えた事を実現できるのは、他の誰でもなく自分自身なのだ。それ以来私は、祈りを現在形で口に出すようになった。するとそれはもう、祈りというより commitment (宣言)になる。
私の友人、マークが言った言葉が腑に落ちたので、ここに紹介しておきたい。
彼は神様の存在を信じている。彼はクリスチャンでも仏教徒でもない。伝統的なナバホの教えを守っている普通の青年で、熱狂的な宗教家などではない。
彼いわく、神様というのは呼び名はそれぞれの宗教・国・文化によって異なるが、結局の所、1つの存在だ。彼自身はクリエイター(創造主)という単語を使っている。
クリエイターは確かに存在する。ずっとずっと遠くの方から、私達人間一人一人を公平に見守っている。
クリエイターに何かお祈りをしたいのなら、こちらがその祈りに対して本気だという証を見せなくてはいけない。何しろ、クリエイターは遠くにいるのだ。そして私達全員を見守っていて、忙しいのだ。
彼の言う 「本気だという証」 とは、私達がクリエイターまでの距離の半分を出向いていくということらしい。勿論これは彼なりの比喩であって、文字通りどこかに出向くとか、何か高級な祈りグッズを購入するとか、高価な額を支払って盛大にセレモニーを行う事などではない。 自分が祈りに対して本気であることを行動で示す事だ。
すぐにクリエイターが半分の道を降りてきてくれる訳ではない。気付いてもらえるまで、何度も何度も出向いていく必要がある。やがて、クリエイターがこちらの存在に気付いてくれた時、クリエイターはやっとその残り半分の道を降りてきてくれる。その時初めて、クリエイターに直接詳しく話す事ができるのだと思う、と彼は言っていた。
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「ナバホ流、朝のお祈り」ナバホ体験記
その頃から私は、朝のお祈りをナバホ語でするようになった。
あいにく私のコンピュータにはナバホ語のフォントがないので、文字表記は本来のものと異なるのでご了承いただきたい。
Kodoo Hozhoo dooleel
Nahasdzaan Shima, Yadilhil Shitaa’
Bil Hayoolkali, Hohodeetl’iizh
Nohootsooi, Chahalheel
Sis Naajini, Tsoodzil
Dook’o’oosliid doo Dzil Dibe Nitsaa
Dzil Na’oodlii, Ch’ool’i’i’
Haasch’eeyaalti’i shicheii
Haashch’eewaan Shicheii
Yoolgaii Asdzaa Shima, Asdzaa Nadleehe Shima
Naada’algaii Ashkii, Naada’altshooi At’eed
Yodi Altaas’ei, Nitl’iz Altaas’ei
To Altah Nashchiin, Tobiyaazh
Tadidiin Ashkii, Anilt’anii At’eed
Sa’ah Naaghai Ashkii, Bik’eh Hozhoon At’eed
Hozho Nahasdlii’
Hozho Nahasdlii’
Hozho Nahasdlii’
Hozho Nahasdlii’
今この瞬間から私は調和の元にコーン・ポラン・ロードを歩いていきます
母なる大地、父なる宇宙よ
東の白の夜明けのスピリット、南の青の昼のスピリット
西の黄色の夕暮れのスピリット、北の黒の夜中のスピリット
東のブランカ山、南のテイラー山
西のサンフランシスコ・ピーク、北のラプラタ山
Huerfano メサ、 Gobernador 山
私のおじいさん 「東の語る神」
私のおじいさん 「西の語る神」
私のお母さん 「白い貝殻の女」、私のお母さん 「変わる女」
「白いトウモロコシの少年」、「黄色いトウモロコシの少女」
私の宝石達、4方向の聖なる鉱物達
「あらゆる形の水たち」、「水の少年」
「トウモロコシの花粉の少年」、「トウモロコシの花粉と共にいる少女」
男性性を持ったスピリチュアルな人生の空、女性性を持ったスピリチュアルな人生の美
私は調和の元にコーン・ポラン・ロードを歩きます
全てが調和の元に進んでいきます
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「ナバホ流自己紹介」ナバホ体験記
ナバホ父の講義にもあったように、ナバホの人々は自分につながるすべてのスピリットとの調和を常に念頭に入れている。自分という人間をこの世に送り出してくれたスピリット達、それに自分につながる近い親戚の事も常に念頭に入れている。
ナバホ国にはクラン制度というものがある。このクラン制度によって、ナバホの人々には身寄りのない人などどこにも居ない事になる。もし実際に親兄弟、祖父母、従兄弟などが居ない人であっても、クラン制度による親兄弟、祖父母、従兄弟などが必ず存在する。
ナバホ神話によると、「変わる女」が腕の下の肌を擦ることによって、最初の4人の人間達を作ったとされている。(ナバホ神話には諸説ある。私が参照したのは、ナバホ保留地内の学校で配布された資料による)
最初の4つのクランは
1 Todich’ii’nii (The bitter water clan)
2 To’ahani (Near the water clan)
3 Kinyaa’aanii (The towering house clan)
4 Totsohnii (Big water clan)
だという。
以降、人々は他の土地へ行ったり、逆に他の土地から人々が入ってきたり、他の部族と結婚したりすることで、クランの種類が増えていった。このクランにはグループ分けがあって、関連がある。
もし私がナバホに生まれていたとしたら、好きな人が現れたらまずその人のクランを尋ねるだろう。各クランにはそれぞれ結婚できないクランがあるからだ。もし、好きな人がその結婚できないクランに属していたら、結婚はあきらめなければならない。結婚できないクランというのは、自分の祖先が親戚関係にあったことを意味する。近親相姦的な関係になってしまい、生まれてくる子供に影響が出るというのが理由らしい。
伝統的なナバホなら、公の場で自己紹介をする時、こんな風に話す。
「私のクランはXXXです。父のクランはXXXで、母方の祖父のクランはXXXで、父方の祖父のクランはXXXです」
子供は母親のクランを引き継ぐことになっている。例えば私の場合、こんな風になる。
“I am Naakaii Dine’e, born for Kinlichii’nii. My maternal granpa is Bit’ahnii, paternal granpa is Honaghaahnii.”
