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  • 「寄り道」 ナバホ体験記 

    今でも時々、自分の軽々しい行動や決断を恥じる事がある。 この一件はまさしくそうだ。

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    私が楽しみにしていたナバホ両親の元に養子縁組してもらうという件は、一向に進まなかった。 冷静に考えれば、当然、無理な話だったのだ。

    ナバホ両親は私にこう言った。

    「君がまだ日本にいる間にも、私達は部族議会の知り合いに聞いて回った。 ナバホ議会やセレモニーを通して、君を私達の娘として正式に養子として書類に残すことは可能だ。 でもその書類が効力を発揮するのは、あくまでも保留地内だけのことだ。 君がアメリカで長期間暮らすために必要なビザやソーシャルセキュリティの発行はアメリカ政府の管轄で、残念ながらナバホ政府にはそこまでの権力がない。 何か他の手段を考えてみよう。 君ががっかりする気持ちはよく分かる。 でもきっと何か道はあるはずだ。 時間はかかるかもしれないが、一緒に考えていこう。 私達が君の保護者であり、両親であることは変わらない。 君が私達の大事な娘であることも変わらないから・・・」

    そんな優しいナバホ両親の心を知らず、私はすねて、絶望していた。 自力で何とか道を切り開かなくてはと焦るようになった。 ここから怒涛のように、私の苦難の道のりが続くことになる。

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    ナバホ両親と養子縁組の話をした数日後、ナバホ国では Navajo Fair が開催された。 私はパレードを見に出かけ、そこで知り合いになったナバホ男性に誘われるまま、彼と彼の内縁の妻の家に行き、そこで数日間暮らすことにした。

    彼らは空家を3つほど所有していて、その内の1つに住んでも良いと言われて、有頂天になっていた。

    私が数日間使わせてもらったのは、古いトレーラーハウスだった。部屋が二つあって、真ん中にキッチンがある。水道や電気、ガスは来ていないので、食事を作るのは外のカマドで、トイレはそこから 300 メートル離れた屋外トイレを使うことになった。

    住み始めて数日で、この家とこの敷地全体の異変に気付くようになった。

    家の中ではラップ現象が起こる。 家の中に誰かがいて動き回っているかのようにパチパチと音がするし、屋根と家の土台の両方からドンドンと叩く音もする。 それは私が1人でいるときに限って起こる。 敷地内も何か変だ。 どこか落ち着かない。 ずっと誰かに見られている気がするのだ。

    思い切って彼に話してみると、彼はあっけないほどすんなり認めた。

    「俺にウィッチクラフトをかけたヤツが何人かいるからだ」 とか 「君のことを見ているのはスキンウォーカーだ」 と。

    私がこれらの言葉を耳にしたのは、それが初めてだった。ウィッチクラフトというのはブラックマジック(黒魔術)のことで、スキンウォーカーとはそれを現実に行う悪魔の手下のことだ。スキンウォーカーの頭は獣で、首から下は人間の体だという。

    この男性は私が出て行ってしまうことを恐れていた。 私がここを出て行くと切り出すと、決まって彼は子供のように泣きじゃくり、「出て行かないでくれ」 と私に懇願した。

    彼は私より10歳も年上なのに、精神的には幼い子供のようだった。 知能も低いように思われた。 そのくせ、とても精悍な顔つきをしていて、はっとするほど魅力的なのだ。 

    彼は同じことを何度も繰り返して話す。 ちょうど子供が母親に対して、いろんな発見物を嬉しそうに報告しているかのように・・・。 ところが時々、とても美しいオリジナルの物語もすらすらと話す。 大抵はナバホの少年の物語だった。 「それってあなたの子供時代の話?」と私が尋ねると、「これは今俺が頭に浮かんだフィクションの物語だ」 と答える。

    とてもアンバランスな人。 それに違和感を感じる敷地と住居。 出て行かなきゃ、と冷静なときには思うのに、なぜか出て行けなくて、ずるずると何日も滞在することになった。

    どうしてあの時すぐにこの敷地を出て行かなかったのだろう? 分からない。 この男性のことを知れば知るほど、この人は危険だと私の直感が私に命じる。 なのに、私は出て行けなかった。 彼に対する哀れみだったのか、怖いもの見たさの冒険心だったのか・・・。

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    随分時間が経った今なら、原因が分かる。 私は捕われてしまっていたのだ。

    気が付くと、3週間も彼らと共に生活していた。


  • 「車 購入」  ナバホ体験記

    ナバホに通い始めた最初の頃は、いつもレンタカーで行動していた。しかしレンタカーの値段は結構高い。安いところでも、保険込みで一ヶ月1000ドル近くかかってしまう。そこで中古車を購入することにした。

    ナバホの友人が、保留地外で一番近い大都市(ニューメキシコ州アルバカーキ)に連れて行ってくれた。

    まずは中古車ディーラーを5ー6件回って年代や車種ごとの相場を研究。それから白人の住宅街をくまなく探す。車を購入する一番てっとり早い方法は個人から購入することだと彼女は言った。

    「どんな車が欲しいのか詳しく話してごらんよ」と彼女が言うので、「色は白。ジープ。割と小さ目の車で、出来れば日本車。2000ドル以下なら即金で買えるんだけどね」と答えた。

    すると彼女が「あなたが望んでいるのは、例えばあんな車?」とある方向を指差した。ハンバーガーショップの駐車場に、まさに私が思い描いていたようなジープがある!! 窓には「FOR SALE」の文字。

    白の87年もののISUZU。トゥルーパーⅡ(ジープ)。

    見た瞬間、「コレダ!!」と思った。オーナーに電話をすると、5分ほどで会いに来てくれた。売値は2500ドルだったのだけど、交渉して2000ドルにまけてもらうことにも成功。あっけないほど簡単に車が見付かり、しかもすべて希望通り。ツイテル!! 持つべき物は友である。

    アメリカで車を購入したのは、この時が生まれて初めてのことだったが、手続きは以外に簡単だった。DMV(陸運局のような所)へ行き、タイトル(車検証)のオーナー変更手続きを済ませ、保険会社に寄って、自賠責保険の手続きをする。これで完了。

    帰り道、アルバカーキから保留地までの道のりを運転する間、私は心の中でスキップ状態だった。

    わたしの新しいパートナー、トゥルーパーⅡちゃん、これから私の良き相棒になってください。


  • 「長期滞在」ナバホ体験記

    その当時、私はナバホの大地に腰を落ち着けて暮らす事を真剣に考えていた。まだ私が日本にいる時、ナバホ父と電話で話した。ナバホ父とナバホ母は、どうやったら私をこの国に呼べるのかを、真剣に相談してくれたそうだ。

    一番良いのは良い男性が現れて私の身柄を引き取ってくれること、つまり結婚。しかし結婚となるとお互いのことをよく知り合ってからでなければ駄目だ。より深く知り合うためには、やはり長期間で滞在してあちらの生活に慣れることが先決だ。二人は毎日のように、こんな風に私のことを相談してくれていたらしい。

    ナバホ父は部族の役所でピースメーカーとして勤務している。 その前はナバホ警察で働いていた。 だから、大勢のナバホ国議会や弁護士とも顔馴染みだ。

    討議の結果、ナバホ両親はある結論に至った。 自分達が養子として受け入れる。 もちろん、アリゾナ州の法律上では、これは不可能だ。 養子縁組は、12歳以下の不幸な生い立ちの子供に限定されている。 しかし、ナバホ国の法律はアメリカ政府とは独立して全く別のものだ。

    渡米前、電話でナバホ父は私に言ってくれた。

    「俺達が君のことを養子にする。これに関しては、電話やメールではなく、会って膝を付き合わせてゆっくり話そう。とにかく、君は長期でこちらに来られるように準備をしなさい。俺達は本気で君を受け入れる覚悟を決めた。だから君も覚悟を決めろ」

    ナバホ両親が出したこの結論に、ナバホ弟も大喜びだった。彼は健気にも「俺も全力で君の事を助ける」と言った。

    そんな訳で、私は勤めていた会社を退職し、長期滞在の覚悟を決めた。スーツケース2個に出来る限りの服や食料を詰め込み、全財産をドルに両替した。飛行機は復路を後で変更できるように、オープンチケットを購入した。

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    このときはすべてうまく行くと信じていたし、希望に満ち溢れていた。

    しかし、この決断が私にとって長い苦難の幕開けになるとは、このときはまったく気付いていなかった・・